
速佐須良比咩からのメッセージ 2010.10.13
我は地の神、黄泉の入口にいるもの。祓われしすべての穢れを受け取り、地に返すもの。
地はそれらを新たな創造の力と変える。
創造とは破壊でもある。よいか、そもそも破壊などというのはないのだ。破壊も創造の一部に過ぎない。
赤子は日々成長し変化していくではないか。成長と変化は常に一体である。変化なき成長はなく、成長は過去の様相を捨て去ることでもあるのだ。
みよ、お前たちが地の底に投げ入れた穢れの重さによって、還元された力が上昇している。
その力が岩漿(マグマ)を作り、火山の噴火を招いている。
これらはみな元々は、虐げられた者たち、不当な扱いを受けた者たちの血の叫びである。
地に注がれた血は、還元され湧き上がる。そして新たな創造を招く。「チ」は命であるからだ。
大地は欲望と暴虐に満ち、多くの血と穢れが地の底に降り注いでいる。
命を無駄に消費するものは、その血の責任を負うだろう。
呪いとはなにか。それは魂の決めごとである。
よいか、地から湧き上がってくる力は、形は違えど、どれも同じなのだ。
あるものは水となり、あるものは石となり、あるものは火となり、あるものは風となり、またあるものは氣となって湧き上がる。
ところが、あるものはそれを良い氣だと言い、あるものは悪い氣だという。
それは受け取る側の裡にそう感じさせるものがあるからである。
地に血を注ぐものは、自らの魂に傷を彫る。ゆえに自ら呪われる。
傷とは執着心である。執着心が、復讐を求め殺意を呼ぶ。
執着心が、疑いを呼び、愛を見えなくさせ、神の恵みを忘れさせ、無限なる豊かさを見えなくさせている。
ゆえに人は奪い合い、殺し合い、復讐に復讐を重ねるのだ。
なぜ自らが愛されていることを忘れたのか。この世は神の慈悲で満ちている。
なぜ自らが神の一部分であることを忘れたのか。己は部分であり全てではない。だが全ての根源である大神様はすべてのものの裡に宿られる。
思い出しなさい、悟りなさい。
大神様は慈悲深きお方であるから、全ての罪咎を水に流される。流された罪咎は海に流れ、風に吹かれて、地の底に沈む。
そしてそれらはみな、命の氣となって湧き上がる。
それらをどう受け取り、どう使うかは、あなた方に任されている。
ゆえに、心して自らのことを行いなさい。何も考えずに日を浪するな。
人は自分で播いたものを自分で刈り取るのだ。