鏡のようになった心で迎える満月 — 20年の彷徨を終えて | 市川章彦のブログ

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唐沢の滝で縄文の胎内へ、不動滝で不動明王の慈愛へ。戸隠を舞台に魂を剥き出しにする禊。審判官を葬り、真実の自分という「岩戸」をひらいた市川章彦の記録。医療とエロを同一線上で捉え、偽りなき命の歓喜と日々の思いを全力で綴ります。

自分を変えたくて、人生を変えたくて、必死に「外側」の答えを追い求めてきた。


2006年、一人で向かった宮古島。2015年にはセドナやモニュメントバレーへ。

古今東西のあらゆる本を読み漁り、スピリチュアルの世界にも深く沼った。


本を読んだ瞬間や、セッション、ワークショップに参加した直後は「これで救われた」と思った。けれど、それは俺にとってバファリンのような一時的な「痛み止め」でしかなかった。根本的な解決には至らず、効果が切れればまた元の地獄に引き戻される。


膨大な時間とお金をかけても変わらない現実に、スピリチュアルに対して強烈な怒りを感じた時期もあった。

自分軸があり、それらを「きっかけ」として活用できる人には効果があるのだろう。けれど、他人軸だった当時の俺は、ただ依存していただけだった。「これさえ理解すれば」「このセッションさえ受ければ」変われるはずだ、と。


俺の深いところでは、矛盾した叫びが響いていた。

「他人をコントロールすることなんて絶対にできない。……でも、誰か、誰か俺を変えてくれ」


どこへ行き、何をしても、自分自身からは一歩も逃げられないことを思い知らされるだけだった。

外側を変えることに疲れ果てたのか、去年の12月、俺はついに観念した。「自分の内側を変えるしかない」と。


それから半年、今までおざなりにしてきた自分の「内側」へと潜り続けた。

表層、中層、深層……さらにその奥の「深深深層」まで。自分を縛り付けていた古いOSを一つひとつ解放していった。


その果てに辿り着いたのが、0の自分自身との「結婚(一致)」だ。

ずっと忌み嫌ってきた「ど変態」な自分とも、ようやく手を取り合い、一つになることができた。


かつての俺の心は、冬の日本海の荒波のように、常に激しく波立ち、冷たく、荒れていた。

けれど、満月を迎えた今日の俺の心は、まるでウユニ塩湖のようだ。


青空を、そして満天の星空を、そのまま真っ直ぐに写し出す鏡。

波一つ立たない、静寂に満ちた平穏。


20年の彷徨を経て、俺はようやく「本当の居場所」に辿り着いた。

答えは、最初からここ(内側)にしか、なかったんだ。