人生の審判を終え、自分と結婚する — 答えは「内側」にしかない | 市川章彦のブログ

市川章彦のブログ

唐沢の滝で縄文の胎内へ、不動滝で不動明王の慈愛へ。戸隠を舞台に魂を剥き出しにする禊。審判官を葬り、真実の自分という「岩戸」をひらいた市川章彦の記録。医療とエロを同一線上で捉え、偽りなき命の歓喜と日々の思いを全力で綴ります。

答えは、いつだって「内側」にしかない。


かつての俺は、人生がうまくいかない理由を、自分以外の「誰か」や「何か」のせいにしていた。


営業時代、どれだけ必死に訴えても注文をくれない客。

どれだけプレゼントを贈り、愛を伝えても振り向いてくれない彼女。

今思えば当たり前のことだ。客に注文する義務なんてないし、俺が勝手に好きになった彼女に、俺と付き合う義務なんてどこにもない。

けれど当時の俺は、そんな単純なことさえ見えず、長い間「被害者意識」という檻の中で生きていた。


入社して1年が過ぎた頃、ふと気づいた。

「この世で一番大事な人間関係は、自分と自分自身の関係なんだ」と。

それに気づいてから、仕事は回り出し、トップセールスの仲間入りをして、彼女もできた。「答えを見つけた」と確信した。


けれど、それは長くは続かなかった。

いつの間にか、また自分自身との関係は崩れ、それを取り戻そうと必死に足掻いたけれど、どうしても叶わなかった。


会社を辞めた後、俺はスピリチュアルの世界にのめり込んだ。

瞑想に明け暮れ、冷たい水に打たれる瀧行も続けた。

以前よりはマシになった気がしたが、それでも「人生が良くなった」という実感には程遠かった。


転機は、去年の12月。

「すべての原因は、自分の内側にしかない」という結論に至り、徹底的に自分の中を見つめ直した。

そこで見つけたのは、俺の中に深く埋め込まれた、数々の呪いのようなOS(思考の癖)だった。


「苦しみこそが生きている証だ」

「好きなことをすれば叩かれる」

「やっぱり俺は愛されない」


さらに、自分を欺いていたことにも気づいた。

大好きだったおばあちゃんとの「温かい記憶」。それは、おばあちゃんを嫌いになりたくなかった俺が、無意識に記憶を改ざんしていたものだった。

その痛みを直視し、一つひとつ手放していく中で、俺の中にいた「審判官」の存在に気づいた。


俺の本心を常に監視し、ジャッジし、否定し続ける冷徹な審判官。

その彼を、先日のオープンマイクでようやく「殺す」ことができた。


審判官がいなくなった静寂の中で、何が起きたか。

自分自身との関係を取り戻すどころか、それを飛び越えて、俺は「0(ゼロ)の自分」と結婚した。

ずっと受け入れられなかった「ど変態」な自分自身と、魂の底で一致した。


俺の人生で、今が一番幸せだ。

そして、生まれて初めて、自分の生き方を「かっこいい」と思えている。


答えは、最初から俺の中にあった。

もう、外側の誰かに答えを求める必要はない。