答えは、いつだって「内側」にしかない。
かつての俺は、人生がうまくいかない理由を、自分以外の「誰か」や「何か」のせいにしていた。
営業時代、どれだけ必死に訴えても注文をくれない客。
どれだけプレゼントを贈り、愛を伝えても振り向いてくれない彼女。
今思えば当たり前のことだ。客に注文する義務なんてないし、俺が勝手に好きになった彼女に、俺と付き合う義務なんてどこにもない。
けれど当時の俺は、そんな単純なことさえ見えず、長い間「被害者意識」という檻の中で生きていた。
入社して1年が過ぎた頃、ふと気づいた。
「この世で一番大事な人間関係は、自分と自分自身の関係なんだ」と。
それに気づいてから、仕事は回り出し、トップセールスの仲間入りをして、彼女もできた。「答えを見つけた」と確信した。
けれど、それは長くは続かなかった。
いつの間にか、また自分自身との関係は崩れ、それを取り戻そうと必死に足掻いたけれど、どうしても叶わなかった。
会社を辞めた後、俺はスピリチュアルの世界にのめり込んだ。
瞑想に明け暮れ、冷たい水に打たれる瀧行も続けた。
以前よりはマシになった気がしたが、それでも「人生が良くなった」という実感には程遠かった。
転機は、去年の12月。
「すべての原因は、自分の内側にしかない」という結論に至り、徹底的に自分の中を見つめ直した。
そこで見つけたのは、俺の中に深く埋め込まれた、数々の呪いのようなOS(思考の癖)だった。
「苦しみこそが生きている証だ」
「好きなことをすれば叩かれる」
「やっぱり俺は愛されない」
さらに、自分を欺いていたことにも気づいた。
大好きだったおばあちゃんとの「温かい記憶」。それは、おばあちゃんを嫌いになりたくなかった俺が、無意識に記憶を改ざんしていたものだった。
その痛みを直視し、一つひとつ手放していく中で、俺の中にいた「審判官」の存在に気づいた。
俺の本心を常に監視し、ジャッジし、否定し続ける冷徹な審判官。
その彼を、先日のオープンマイクでようやく「殺す」ことができた。
審判官がいなくなった静寂の中で、何が起きたか。
自分自身との関係を取り戻すどころか、それを飛び越えて、俺は「0(ゼロ)の自分」と結婚した。
ずっと受け入れられなかった「ど変態」な自分自身と、魂の底で一致した。
俺の人生で、今が一番幸せだ。
そして、生まれて初めて、自分の生き方を「かっこいい」と思えている。
答えは、最初から俺の中にあった。
もう、外側の誰かに答えを求める必要はない。

