十六夜の魔法
プロローグ
私の名前には、もう価値などない。
あの日、すべてが風のように消え、
誰の記憶にも残らず――それでよかった。
もう、意味はなかった。
春を見送り、冬を抱き、
幾千の夜を越えても、
私の中に「始まり」というものはなかった。
世界はただ、繰り返す。
花は咲き、散り、
人は祈り、嘆き、喜び、そしてまた祈る。
その果てを、私はただ見届けていた。
――あの人に出会うまでは。
静かな庭で、
手のひらに触れたあたたかさが、
永劫の眠りを揺らした。
「……レヴィ」
その声は、風よりもやわらかく、
私の名を、もう一度呼び戻した。
その瞬間、私は確かに“在った”。
そして――護りたいと、初めて思った。
登場人物
風の妖精 レヴィ
薬草で薬を作るハーブ魔女
百合夜
その息子
大樹
十六夜の魔法 -1-
ある国の地方都市、海と山に囲まれた、静かな町がある。
駅から少し離れた坂道を上がると、
白い塀に囲まれた小さな一軒家がぽつんと建っていた。
そこに暮らすのは、百合夜(ゆりや)と幼い息子の大樹。
庭にはローズマリーやミント、タイムなど、
四季折々のハーブが息づき、
風が吹くたびに、青く澄んだ香りが漂う。
百合夜は、この国では珍しい“薬草の魔女”と呼ばれている。
といっても、黒い帽子も杖も持たない。
すり鉢と乳鉢、乾いた葉の束――
それが、彼女の魔法の道具だった。
けれど、この穏やかな庭には、
ときおり“異国の風”が吹く。
誰も知らない言葉の響きと、
どこか懐かしいような淡い光が、
一瞬だけ花の影を揺らすことがあるのだ。
それが何なのか、百合夜自身も知らなかった。
ただ、その夜――十六夜の月がのぼる頃、
その“風”が初めて、姿をもって現れることになる。
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