私が台湾独特の中国語に興味を持ち出したのが、2000年代初め。その頃はまだ「台湾華語」という言い方は普及しておらず、中国の普通話とは異なる表現や発音のことを指す時は「台湾国語」とか「台北国語」とか言われることが多かったように思います。
でも「台湾国語」という言葉は、「台湾語」の影響をもろに受けた「訛った国語」という意味合いが強く蔑称の側面もあるので、今はあまり使わなくなっています。2010年頃から、中国の普通話と区別する際、日本では「台湾華語」と言われることが多くなってきました。
で、実は「台湾国語」ということばは、日本植民地時代にも使用されていました。もちろん当時の「台湾国語」は日本語。台湾の歴史研究家、周婉窈氏はその著書の中で、台湾人の「国語」はいつの時代も統治者或いはそのエスニックグループから「台湾国語」として蔑まれてきたと書いています。
日本時代には、必死に習得し中には日本人以上に「標準的な」日本語を身につけた人がいたにもかかわらず、 「訛り」の強い日本語しか話せない九州出身者やその他の地方出身者からも「台湾国語」だと嘲笑されたといいます。中華民国となってからは、「国語」は「中国語」になり、そこでもまた台湾人の「国語」は「台湾国語」と蔑まれた、と。
外省人第一世代の話す「国語」は「山東国語」や「寧波国語」だったにもかかわらず、それらは問題にされず「台湾国語」だけが嘲笑されたといいます。このように「台湾国語」は初め、極めてネガティブな意味を持っていました。
「国語」独尊の時代にも「台湾国語」は蔑みの対象でした。60 年代にはテレビが一般家庭にも普及しますが、例えばテレビドラマにおいて「標準的な『国語』をしゃべる人は必ず背が高くて誠実そうな知識層」、「『方言』をしゃべる人はチンピラか低知識層(ママ)」という役どころとなり、その結果多くの人が(特に女性が)「方言」の色彩を帯びた舌を巻かない「台湾国語」は、「恥ずかしい」と感じるようになったといいます。
当局もまた、「台湾国語」に対しては冷淡な態度を取り続けそれは 80 年代まで続きます。例えば 1984 年 3 月 11 日、台湾の新聞局は中視(テレビ局)のドラマ『成功嶺上』の中で張萍演じる母親役が「台湾国語」を話すことに対し、「国語」の普及を妨げるとしてすぐに標準「国語」にもどすことを要求しました。さらに 1988年 6 月 18 日 には、新聞局がテレビ局3局に対し「台湾国語」をわざと使用して
はならないという警告をしています。
続きます
【参考文献】
◯周婉窈「臺灣人第一次的囯語經驗――析論日治末期的囯語運動及其問題」『海行兮的年代─ ─日本殖民統治末期臺灣史論集』 (2003)
◯黃宣範『語言、社會與族群意識 台灣語言社會學研究』文鶴出版有限公司(1995)