台湾社会が民主化し、台湾語を中心とした台湾住民の「母語」が息を吹き返すまでの戦後の歴史をざっくり。
1947年に起こった二二八事件(憲兵隊によるヤミ煙草取締暴行事件を発端にした全島的な抗議行動を当局が武力で鎮圧した事件)、そしてその後も続いた民衆弾圧、知識人虐殺で台湾は多くの知識人を失い、「省籍矛盾」と祖国への失望を生んだ。
さらに50年代に続く白色テロ(一般には為政者によって行われる暴力行為・恐怖政治のことを言うが、台湾の白色テロは1949年から始まった左翼分子・知識分子への弾圧のことをさす)によって、台湾の人々は苦痛と恐怖と憎しみの歴史を共有することになった。
台湾の転機は70年代。中華人民共和国が国際舞台に「復帰」した時期。これまで国際社会における「中国」と言えば蒋介石の「中華民国」だったのに、国連の加盟国も中華人民共和国、アメリカや日本の外交相手も中華人民共和国……という状態になってしまったのだ。
中華民国の国際社会における正統的地位は失われ、1984年に政権を継承した蒋経国は、中華民国の虚構性、そしてその中華民国が台湾を支配することの不条理や矛盾を何とかしてごまかさなければならなかった。
その方法が、限定的な民主化の容認と、政治の中枢に本省人を登用するといった政権人事の「台湾化」。1981年には地方選挙で陳水扁、謝長廷ら党外人士(国民党に属さない政治家)が台北市市議会議員に当選するなど70年代末から民主化の萌芽はあったのだが、
1984年にこの「政権人事の台湾化」の一環として本省人李登輝が副総統に任命されると、1986年の民進党結成、1987年の戒厳令解除まで、一気に進んでいくことになる。そして蒋経国総統の突然の死によって李登輝が総統に就任し、民主化は一つのピークを迎える。
民主化と本土化(台湾化)を求める人々の大きな支えになったのが台湾語。民主化デモで台湾の民衆が叫んだのが「台湾人要出頭天(タイワンラン ベー ツッタウティn!」、「台湾人として胸をはろう!」というスローガンだった。
こうして日本統治時代から長年抑圧され続けた台湾住民の母語は、民主化と「本土化(台湾化)」の大きなうねりの中で息を吹き返したのだった。