ざっくり、本当にざっくりと台湾映画の歴史をまとめると次のような感じになる。私の理解している大筋をホントにざっくりとまとめてたものだが、映画は専門ではないのでまちがいがあったらすみません!ご指摘ください
戦後初期(1945年から4、5年)は官営の映画会社による政策宣伝映画ばかり。どれも中国語の映画で台湾の人々には聽不懂だし、何よりつまらないしで、観客はほとんどいなかった・・・。
50年代に入り、何基明が初めて民間の撮影所を作り台湾語の映画を製作する。最初は、庶民の楽しみであった台湾の伝統芸能、歌仔戲(ごあひ)を16㎜フィルムで撮っただけのものであったが、結果、台湾の人々に大人気。その映画『薛平貴與王寶釧』(1956年)は、50年代台湾語映画隆盛期の幕明けを知らせるものであった。
50年代は映画『阿嬤的夢中情人』で描かれているように(→映画の中の台湾語3)『阿嬤的夢中情人』)、たくさんの台湾語映画が作られた時代。中国語映画を作っていた官営の映画会社はどこも半休業状態だったため、スタッフや機材を台湾語映画製作に貸し出したらしい。
だが、台湾語映画の勢いも60年代に入ると次第に衰えてゆく。原因は大量生産による質の低下、1962年からのテレビ放送の開始、そして何より、台湾でも「国語」(中国語)が普及してきて、どうしても台湾語の映画じゃなきゃダメ、という観客が減っていたことによる。
そして70年代。台湾に徹底的に中華文化を浸透させようという政策もあり、「国語」映画がまた多く作られるようになる。(台湾語は禁止の方向。)しかし多くはいわゆる「健康写実主義」と言われるワンパターン&マンネリ化した内容で、人々の心に響くような映画ではなかった・・・。
80年代に入り、民主化・本土化を求める社会情勢を背景にして、また台湾自身に目を向けた映画が出てくる。台湾ニューウェーブと言われるもので、楊德昌の『光陰的故事』(1982年)、侯孝賢の『兒子的偶玩(坊やのお人形)』(1983年)、『童年往事』(1985年)、『戀戀風塵』(1987年)、『さよなら・再見』(1986年)、『悲情城市』(1989年)などなど。
50年代の映画、60年代の映画、70年代の映画、80年代の映画・・・わたくし、それぞれ台湾に行ったときにチマチマDVDを買い集め、チマチマ見てまいりました。60年代、70年代はほぼ「国語」(中国語)なのでもうここでは取り上げないが、50年代と80年代については次から台湾語がらみで少しづつ書いていきたい。
50年代の白黒映画は基本的に『經典珍藏版』として売られていて、DVDも高い。(60年代以降のはけっこう安く買える。)ので、たくさんは持っていないが、『舊情綿綿』、『王哥柳哥遊台灣‧上』、『王哥柳哥遊台灣‧下』そして『兩相好』(これは1961年)を買って見た。どれも台湾語の映画である。
そして気が付いたのが、李行という監督の存在。台湾映画の父とも言われているようで、彼が台湾映画界に与えた影響は大きい。次回はこの李行監督と50年代~60年代初めの台湾語映画について。