今日も娘を老人ホームまでお迎えに行った。
あと1日を残すのみとなった職業体験。
昨日、娘が夜私に1日の出来事を語った時、最後に「来週から行かなくなるのが、後ろめたい気持ちになる」と言った。
「あのおばあちゃん達は私が行かなかったら、誰としゃべるのだろう」、そう言った。
しかし娘は「でも明日になったら忘れてるから、私だけがそう思うんかな…」と言った。

毎日が新しい始まりなのだと娘が言った。
その意味は、その日どれだけ話しても、明日に行くと再び自己紹介から始まり、「あなた何歳?」「名前は?」「私の名前はね…」と始まる。
午後になったら、また自己紹介から始まる。
だから、きっと私が行っていた事なんて10分もすれば記憶から無くなるんかな…と言った。

今日は夫婦で入居している2人と知り合った娘。
奥さんは生まれながらに耳が聞こえず、会話は手話か唇を読みながら理解され、ご主人がいる時は手話で対話されている。
会話の最後に娘は唯一覚えている手話のサンキューを伝えた。
すると、奥さんが非常にビックリされ「どうして知ってるの?」と言われたそう。

娘は私に「たった一つしか覚えていない手話を披露しただけで、あれほど喜ばれ私が恥ずかしく申し訳ない気持ちになった。もっと色々学んでおくべきやったのに、知らない事が恥ずかしいくらい」だと言った。
私にも同じ経験がある。
勤務する店のお客様にサンキューを手話で伝え、その方が満面の笑みで拍手してくれたことがあり、それだけ手話が出来る店員というものが少ないことが分かる。
携帯をいじる時間があるのに、しかも別に意味なくいじる時間があるのに、手話をユーチューブで見れば、こんな時に互いが気持ち良く終われる。
ある意味、これは娘にとって非常によい学びになったと有りがたく思う。
もちろん、接客業務の私にも当てはまるが。

娘から「同級生があまり行かないけれど、私は老人ホームに労働体験に行って良かった」と言われたから、私は泣きそうになった。
あんた…私に似ずに性格ええ子になったやんか…
感動するオカンである。
人気ブログランキングへ