オランダはアムステルダムにある拷問博物館を入ってすぐ右に飾られてある拷問器具は「姦通罪を犯した女性にのみ使用する拷問器具」だと記されてあった。
女性だけに使用された拷問器具は民衆の前で行われたと説明書きがあった。
結局は命果てるまでの公開処刑ではあるものの、戒めとして「姦通したら、こんな目に遭わなあかんで」という民衆への教えでもある。

がしかし、博物館内のところどころに「姦通した女性に使われた拷問器具」が実に色んな形態で置かれており、人間が人間に与える苦痛の為、ここまで考えて作られた事に感心すると共に、その残酷さが怖すぎた。
しかしながら、そのムゴタラシイ悲惨なまでの拷問を見ても、「姦通」は存在したのだという。

人はなぜ「姦通」するのだろうか・・と、その実際に使用されていた鉄の拷問器具と「この器具はこう使用された」と書かれた使用方法とその拷問を受けている時の女性の苦痛な表情が絵にされたのを目の前にした私は考えた。
こんな拷問器具で死なねばならないのなら、絶対にしないであろう。
しかし実際には「姦通」は後を絶たなかった。
だから、どんどん苦痛度合を激化した器具が後半になって開発されて行った経緯がある。

心理学の先生が「犯罪を犯す人、妻や子供に暴力を与え続ける人、また浮気を止められない人には、これをして申し訳ない、悪いという感情が欠落、いや生まれながらに持ち合わせていないから出来るのだ」と言っていた。
自分は生身の人間である自覚があるのに対し、人を生身の人間とは自覚できない、そういう欠落者なのだと言っていた。

うちの父が「浮気をし続けてしまう人は、ウンコが体から出て来るのを止められへんのと同じや」と言った事がある。
妙に納得してしまった。
ウンコが体内から出て来るのを排出するのと同じく、浮気というものが当り前の日常でかつ生理現象ならば、そりゃあ止められへんわなと思える。

拷問器具の時代は終わったが、中世ヨーロッパ時代に姦通が存在した数と、今の時代に姦通する人の数は、案外変わっていないのかも知れない。
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