青春時代って、何でしょうか?
モラトリアム世代という言葉が、流行ったこともありました。
16歳の頃から本を読み始めて、「青春って何?」と問いかけ続け、
いつの間にか、その世代を卒業していました。(^_-))
気づいたら、浦島太郎状態。読書生活は、竜宮城だったかも(笑)
由紀草一(ゆきそういち1954生まれ)著
『団塊の世代とは何だったのか』(洋泉社2003年)
p11 団塊(だんかい)世代は狭い意味では、昭和22年から昭和24年
(1947年~1949年)生まれの約800万人をさす。しかし、その世代文化の
拡散範囲から見れば、昭和20年代生まれの約2000万人と考えてよいだろう。
団塊の世代が、ひとつの人口の爆発的な膨らみの力で、
新しい時代の文化を経済を創りあげてきました。
僕は、その後ろ姿を見て、育ちました。
学生運動の盛んだった頃の終焉を知らせる、
東京大学の安田講堂を占拠していた学生たちの陥落を、
小学生の僕は、運輸省の寮で、20代のお兄さんたちと見ていました。
「僕の弟が、ここにいます」と話されていたのを、
昨日の事のように思い出します。
全共闘 東大安田講堂事件 1969年 (06:08)
三田誠広(みたまさひろ1948年生まれ)の
小説『僕って何』(芥川賞受賞1977年)を読んだ時、
デモ行進に参加しながら、自己確認を問いかける主人公の気持ちを、
今でも、時々、思いだします。
この頃、彼らは「30才以上の者を信じるな」と言っていました。
今、彼らは、70代になっています。
僕は、今も、彼らの背中を見ています。
桜井哲夫著『ことばを失った若者たち』(講談社現代新書1985年)
p106<ことば>への不信
p147 少女マンガに傾斜する男の子たち
本音と建前、曖昧、この精神文化を知るには、学びが必要です。
常に正直であることを求めるのは、遊びのないハンドルかも知れない。
20代の十年間は、マンガに夢中でした。
手塚治虫と、柴門ふみ、少女マンガ家くらもちふさこに夢中でした。
柴門ふみのマンガを読んだ時、
その心理描写には芥川賞よりも凄い!と思いました。
石川達三著『僕たちの失敗』(新潮社1962年)
村上龍著『限りなく透明に近いブルー』(講談社1976年)
20代は、青春小説を読み漁りました。
石川達三の小説には、「青春とは、こうだ」との断定的な考え方に
違和感がありました。
村上龍の小説は、「迷ってばかり」の姿に、戸惑いも感じました。
森田公一とトップギャラン
「青春時代」1976年
作詞家の阿久悠(あくゆう1937~2007)が、凄い!
中野収著『若者文化人類学』(東京書籍1991年)
p64 消費文化の中の欲望自然主義
p89 お嬢さんの気まぐれ現象
p193 コミュニケーションの個人化
野田正彰著『コンピュータ 新人類の研究』(文藝春秋1987年)
p150 プログラムを書くというのは、自分の思考の表現だと思う。
p247 時代が求める表現方法
コンピュータは、事務処理の計算機から、コミュニケーションの手段にもなった。
アメブロさんのブログも、その一つですね。
片瀬萩乃著『社内恋愛の教科書』(あさ出版2014年)
p58 恋愛感情が「距離感」を狂わせる
p198 逆風を乗り越えるために
これは、信じる相互理解と、待つことの大切さかもね。
夏目漱石著『私の個人主義』(講談社学術文庫1978年)
森鴎外著『森鴎外の「知恵袋」』(講談社学術文庫1980年
漱石も鴎外も、彼らの小説以上に、学びが多い。
20代に育てた思いと思考が、
社会変革を創る起爆剤になる。



















