日付を跨いでしまいましたが

もう15年が経つのですね。

 

2011年3月11日は、セドナ旅行から帰って2日目でした。

(不思議な黄色い光が写りました)

 

 

 

まだ時差ぼけの中

まるで浦島太郎にでもなったような不思議な感覚でした。

 

その年の7月、石巻にボランティアに行きました。

当時の日記を転載します。

 

 

石巻へ2日間のボランティアへ行ってきました。

 

朝はラジオ体操をして、中継地点へ。

そこでみんなで「そ~だ、うれしいんだ、生きるよろこび~」と

「アンパンマンのマーチ」を歌って出発!

 

3、4人のグループに分かれて活動するんだけど、

私達が行ったのは、とある民家の広ーいお庭と、隣の駐車場の表面に積もったヘドロを掻き出して土嚢袋に詰めていく作業。

ヘドロの部分はパリパリに乾いていて、見た目は普通の土と変わらないんだけれど、スコップで削ってみると、その部分がペリッとはがれるのですぐ分かる。

 

石巻は漁港というより工場地帯で、ヘドロには様々な汚染物質が混ざり合っているので、粉塵が空気中に混ざって危険なんだそう。

 

範囲が広く、4つのグループの共同作業となったため、みんなで手順を話し合って作業スタート。

 

この日は石巻でも35℃超える暑さ。。

滝のように汗が噴き出してきます。

地元の人の話では、石巻でこんなに暑いのは、これまででも3本の指に入るんじゃないかって。。

熱射病になると大変なので、20分おきに木陰に退散して水分補給。

 

近所の人達も、次々とアイスやジュースを差し入れに来てくれる。

通りすがりの人達が、みんな「ありがとう」「ごくろうさま」と声を掛けてくれる。

うれしかった・・・

 

作業後は、津波に流された町が一望出来る日和山へ連れて行ってもらった。

 

 

 

あらためて被害の大きさに絶句。。

4ヶ月経ってもこの状態っていう事に、正直びっくりした。

神戸では、3ヶ月経つと、見た目はきれいになっていたから…

 

ちょうど震災から4ヶ月経ったこの日、みんなで海に向かって黙祷した。

 

どうかすべてのたましいが、安らかな光となって、

優しく微笑んで私達を見守って下さいますように・・・

 

もともと、船旅を通じて垣根を越えた交流を行っているピースボートだけあって、

ただ作業をして帰るだけではなく、夜はみんなで自分の思いをシェアしたりして、短い期間でもたくさんのものを得てほしい、という思いが伝わってきました。

 

帰る日の早朝、みんなで自転車に乗って、山の上から見た、津波で流された町を廻った。

 

 

 

 

 

様々な物質が混ざり合った、耐え難い臭いが立ちこめる。。
それも、場所によって、すこしづつ臭いの種類が変わって行く。

到着地点は、津波の後火災で焼失した小学校。

 

 

みんな呆然としていると、地元のおばさんがやってきて、当時の事をいろいろと話してくれた。

どんな小さな事でも、関心を持って被災地に来てくれる、その事だけでも
ものすごく勇気をもらえるのだと、いろいろな人が話してくれた。

その気持ちは、私も震災を経験しているので、少しは分かる。。

だけど逆に、助けに行ったはずの人の方が、日常生活ではなかなか得られないものをたくさんもらってしまう。
あ、ちょっと違うな、当たり前すぎて気付かない、普通の生活や人とのふれあいのありがたさを思い出すんだな。きっと。

 

 

 

 

 

 

 

上の写真は、見ずらいですが

地元の方からいただいたボランティアへのお礼の手紙(冒頭に「一人では生きていけない」と書かれています)や

生きよう!という言葉が掲示板に貼ってあります。

 

外部から来た私たちでさえ

出動する前に「アンパンマンのマーチ」を歌わなければ心が折れそうだった。

 

何があっても「生きるんだ!」という根源の力を

忘れずにいたいと、改めて思いました。