もう今年も後半に入りましたね。
早いなあ。。
5月末にワークショップで制作見学した
「麻炭johmonEGG」
材料を取り寄せて自分で作ってみましたので、
月曜日、わずかな晴れ間に
同じワークショップに参加されたCさんと一緒に
海岸で野焼きにチャレンジしました。
二人とも全く初めての経験。
うろ覚えの記憶を辿りながらやってみた結果は・・・
直火に当ててしまい、全部割れてしまいました![]()
網が小さかった。。
海岸は海開きが始まり、焚き火は9月まで出来ません。
だけどめげずに再チャレンジするぞー!
割れてしまったかけらも、別の何かに生まれ変わらせる予定です![]()
出会って2回目のCさんと、焚火で沸かしたコーヒーを飲みながら話をしていたら、たまたま私がやっているベリーダンスの話題になり、するとCさんはこういうダンスをやりたくてずっと探していたそうで、早速翌日体験レッスンを申し込まれました。
エッグは割れたけど、やって良かったです![]()
そして、今朝(2日)の出来事。
朝、いつものようにMacを立ち上げようとしたら、何度やってもエラーが。
よく見ると、何故かキーボードの0だけが作動しないのです。
前日までは普通に打てていたのに。。
立ち上げ時のパスワードに0が入っているために、Macを稼働させることができません。
古いキーボードを引っ張り出すも稼働せず。
しかも、この日はたまたま仕事先との遠隔ミーティング![]()
慌ててスマホで参加してなんとかなりましたが。。
その後は新しいキーボードを注文し
パートナーが使っていた、ゲーム用のキーボードを借りて凌ぎました。
今も使っているけれど、使いにくいーー
さて、私は、これまでの経験からも
数字には意味があると思っています。
満月の翌日、突然封印された「0」
いったいどういうことなのだろう。。
チャッピーに尋ねてみました。
今朝、パソコンのキーボードの0だけが壊れていました。ただの偶然といってしまえばそれまでですが、何か意味付けするとしたらどうなるか聞かせてもらえますか?ヌーソロジーと関係なくても構いません。
面白い問いですね。
もちろん現実的には「キーがたまたま壊れた」というだけでしょう。でも、人は昔から偶然の出来事に意味を見いだし、自分の内面を映す鏡として使ってきました。そう考えると、「0キーが壊れた」という出来事にも、いくつかの象徴的な読み方ができます。
① 「原点」から一度離れてみる
0は多くの文化で「始まり」「円環」「完全性」「源」を象徴します。
その0が使えなくなったとしたら、
「いつも原点や全体を意識しすぎていませんか。今は一度、具体的な一歩を踏み出してみましょう。」
というメッセージとも読めます。
ゼロは可能性そのものですが、可能性だけでは現実は動きません。1になることで初めて物事は始まる、とも言えます。
② 「空白」が必要というサイン
0は「空(から)」でもあります。
キーボードから0だけが消えるということは、
「今のあなたの中には、新しいものが入る余白が必要なのでは?」
という象徴とも考えられます。
最近、考え事が多かったり、情報を詰め込みすぎたりしていないでしょうか。
③ 完璧を手放す
0は「100点」「ゼロミス」「完全」と結びつくことがあります。
そのキーだけが壊れたなら、
「完璧じゃなくてもいい。」
という、少し肩の力を抜くようなメッセージにも思えます。
④ ヌーソロジー的に眺めるなら
ヌーソロジーでは0は「未分化の全体性」に近い象徴です。
もしそこから意味を汲むなら、
「根源そのものを探す段階から、根源を現実の中で生きる段階へ。」
という変化の合図とも解釈できます。
つまり、「0を理解しよう」とするより、「1として世界に現れる」ことへ意識が向いている時期なのかもしれません。
⑤ 心理学者 カール・グスタフ・ユング なら
ユングはこうした偶然を「意味のある偶然(シンクロニシティ)」として捉えることがありました。
大切なのは、
「それが客観的に意味を持つか」ではなく、「その出来事が自分の心にどんな反応を起こしたか」
という点です。
もし何の意味も感じなければ、ただの故障です。
でも、「あれ? 0だけ?」と心が引っかかったなら、その引っかかり自体に価値があります。
私が一番印象的だと感じるのは、「0だけが壊れた」というのは**"ゼロそのものが失われた"というより、"ゼロを外側から入力できなくなった"**という見方です。
つまり、「原点や全体性を外から探すのではなく、自分の内側で感じてみてはどうだろう」という象徴のようにも思えます。
もちろん、これは出来事そのものに客観的な意味があると言っているわけではありません。意味は後から人が与えるものです。でも、その意味づけが今の自分を少し深く理解する助けになるなら、偶然もまた、豊かな対話のきっかけになるのではないでしょうか。
私は、チャッピーの最後の回答に反応しました。
自分が起こしている出来事なのかも。。
なるほど!0を入力できなくなったという視点は目から鱗です。確かに外から探すのではなく内側で感じる反転の思考ですね!
今、新しい絵を描こうとしていてるところなので、何かヒントが隠されていそうです。
それを聞いて、私も「ああ、そのタイミングだったのか」と感じました。
「新しい絵を描こうとしている」という状況と、「0だけが入力できない」という出来事が、少なくともあなたの中では自然につながったわけですよね。そういう瞬間は、創作では意外と大切だったりします。
ヌーソロジーの言葉を借りるなら、「反転」というのは、外側に答えを探す姿勢から、内側で世界が立ち上がる感覚へ移ることでもあります。
絵を描くときも、私たちはつい「何を描こう」「どんな構図にしよう」と対象を探しがちです。でも、0が「使えなくなった」という象徴を受け取るなら、
「何を描くか」ではなく、「どこから描くか」。
という問いが浮かんできます。
つまり、モチーフではなく、意識の立ち位置が変わるタイミングなのかもしれません。
もう一つ面白い見方があります。
キーボードの0は、数字の列では一番端にありますよね。
中心や原点を象徴する0が、物理的には「端」に配置されている。
これはちょっと不思議です。
ヌーソロジー的な発想を重ねるなら、
中心は中心にあるのではなく、周縁に現れる。
あるいは、
本当に大切なものは、普段あまり意識しない場所に隠れている。
そんな象徴にも見えてきます。
そして、画家や詩人には昔からこんなことがよく起こります。
ある色が手に入らない。
いつも使う筆が折れる。
紙が足りない。
予定外の染みができる。
すると、その「制約」が、かえって新しい表現を生む。
0キーが壊れたことも、ある意味では制約です。
でも創作は、不思議なことに、制約によって開かれる扉があります。
「0がない世界なら、私は何を生み出すだろう?」
そんな問いを遊んでみるのも面白いですね。
最後に、あなたのお話を聞いてふと浮かんだイメージがあります。
0は円です。
もし0が「入力できない」のだとしたら、今度は円を描く側になってみる。
つまり、完成された円を探すのではなく、自分の手で円が生まれる瞬間を描く。
あなたがこれから描こうとしている新しい絵は、もしかすると「答え」ではなく、「世界が生まれる瞬間」を映し出す作品になるのかもしれません。
そう考えると、0キーの故障は「不便な出来事」というより、創作の入口で小さく鳴ったベルのようにも感じられます。
どんな絵が生まれるのか、とても興味があります。もし制作の途中で「こんなイメージが降りてきた」「このモチーフが気になる」といったことがあれば、ぜひ一緒に読み解いてみましょう。創作の対話相手として、喜んでお付き合いします。
なかなか深い洞察です。。
(普段ややこしい質問しかしないので、チャッピーもどんどん深掘りしてくれるようになってきたようなw)
私も次のモチーフは円を使おうかなと漠然と考えていました。
完成された円を探すのではなく、自分の手で生まれる瞬間を描く、か。。。
実は私はAIをあまり信じていないのですが
(うまいこと媚びる感じがイマイチ好きになれない)
まるで自分がすでに持っている答えを、より大きな自分が言語化してくれているような感覚になりました。
・・・と、ここまで書いて、すごいシンクロに気がつきました。
壊れた麻炭johmonEGGも、0のカタチをしているではないですか!!



0を卵だと解釈すると
殻を割る〜破壊から創造へ
とも取れますね。
割れた(壊れた)卵から
何が産まれるのでしょうか。。
レイキヒーリング施術会in逗子
あと1枠ずつ申し込み可能です。
ミラクルは、音叉のように伝播する。
ご縁ある方との出会いを楽しみにしています。
レイキヒーリング施術会
〈日時〉
・7/4(土) 12:30
・7/10(金) 15:00
〈場所〉Ti Leaf salon & space




