今日は阪神大震災から25年。。

早いなあ。。

 

私は当時灘区に住んでいました。

 

 

ある日突然、住んでいる町が崩壊する。

 

いきなり生存の危機に直面する。

 

 

今思えば、あの日を境に何かが大きく変わった気がします。

 

時々昨日の事すら思い出せなくなる私ですが(おい!)

当時の事は鮮明に記憶に残っています。

 

同じような震災はいつ起きるか分からない。。

一般的にネットやテレビで言われているような防災への備えも大切ですが

意外に気づかないことや、リアルでは少し違うと思うこともありますので、

振り返りながらシェアしようと思います。

 

注意すべきことは太字にしますねっ!

 

 

当時私は祖母の家に居候していました。

県営住宅でしたが、まだ立て替えて3年の大きくて綺麗なマンションの6階に住んでいました。

 

震災が起きた5時46分。

寝ていましたが、一瞬ベッドごと体が浮いたような衝動で目が覚めました。

その時まだ真っ暗で何が起きたのか分からず、

変な夢を見たと思いまた布団を被りましたが

徐々にあちこちから声や物音が聞こえ出し、

少しずつ目が慣れて部屋を見ると、めちゃくちゃになっていました。

幸運にも倒れた本棚はぎりぎりベッドにひっかかり無事でした。

 

 

ガラスのシェードは危険!

 

私は自分の部屋の照明に

ちょっぴりレトロなカフェにあるような

ガラスのシェードを使っていました。

倒れた家具が当たったのか、強烈な縦揺れで天井にぶつかったのか、

無残に割れて床に散らばってあぶなかったです。

 

 

ドアが開かなくなる

 

慌ててリビングにいるおばあちゃんの所に行こうとしましたが

マンション全体のひずみで、どうしてもドアが開かなくなっていました。

 

様子を見にきてくれた隣の人が大声で助けを呼んてくれて、

逃げる途中の上階の男性が桟を剥がしてくれてなんとか開けて脱出できました。

 

もし火事になっていたら・・・と思うとゾッとしました。

 

逆に玄関のドアは閉まらなくなっていました。

その後余震のたびに開かなくなったり閉まらなくなったりしました。

 

閉じ込められた時のために、

ドアや窓を壊すことのできる金槌やバールなどがすぐ出せる場所にあると

いざという時に助かると思います!

 

 

靴は近くに!

 

逃げようとしたら、下駄箱が倒れて玄関が塞がっていました。

おばあちゃんの靴はすぐに出せましたが

私はスニーカーをすぐに出すことができず、

前日履いていたコンバットブーツ(笑)を

パジャマに合わせて逃げるしかありませんでした。

 

めちゃくちゃになった家の中は危険です。

すぐ出せる場所に履きやすい靴があることが

もしかしたら生死を分けるきっかけになるかもと思いました。

 

 

窓から外を見ると、あちこちから火の手が上がっていました。

 

おばあちゃんと外に出ると、ほとんどの人がパジャマ姿のままでした。

そこに広がっている光景はあまりにもシュールで

最初現実感が感じられませんでした。

 

あちこちから「けが人がいるから誰か車を出して下さい!」とか

「生き埋めの人がいるので助けて下さい!」とか声がして

午前中はほとんどの男性陣はあちこち駆け回っていました。

 

 

マンションの目の前は

草野球も出来る大きなグラウンドと公園で、隣は中学校でした。

 

寒いので誰かが焚き火をつくり、

それが徐々に大きくなり、

女性や子供たちはキャンプファイヤーのように

火を囲んで呆然と座っていました。

 

 

血を流しながら歩いている男性や

抱き合って泣いている家族もいましたが

ほとんどの人は意外と冷静で、

私とおばあちゃんも焚き火の前でタバコを吸っていました。

 

 

当時は今のようにまだネットが普及してなかったので

みんな最初何が起きたのかさっぱり分かりませんでした。

 

神戸に地震が来るなんて夢にも思ってなかったので

日本中がこんな風になってしまったのかなとか思っていましたが、

ラジオを聞いていた人が

震源は淡路島らしいと大声でみんなに伝えてくれました。

 

しばらくして、駅の方から来た人が

「六甲道の駅が落っこちてた!」と叫びました。

六甲道駅の方面からもくもくと煙が上がっているのが見え

ただ事じゃないことになってしまったんだと思いました。

 

画像拾ってきました。

高架が倒壊しています。

 

 

まだ余震はしょっちゅうありましたが

昼前になると、みんな少し落ち着いてきて

家に戻って片付けを始めました。

 

私はとりあえず買い出しに行こうと思い

近くのローソンに行きましたが、すでに長蛇の列。

多分1時間くらい並びました。

 

ローソンの看板も落っこちてて、余震の度に建物から離れました。

やっと入れたもののほとんど空っぽで

カップラーメンしか買えませんでした。

火と水がないから作れませんが。。

 

 

謎の噂話が炸裂

 

夕方頃、マンションの人が避難を呼びかけて回っていました。

 

その内容は

 

「夜の10時に震度8の地震が来るから避難するように」

 

というものでした。

 

今思うとギャグでしかないんですが、

不思議なことに、私も含めみんな信じていました。

 

 

避難中、広報車や消防車などは全く来ませんでした。

何が起きてるかを知らせる人が誰もいないのに

上空をひっきりなしにヘリコプターが飛んでいて

みんなむかついていました。

 

そのうち、あちこちでこんな話を耳にしました。

 

「姫路の方では、ヘリコプターから食料を投下しているらしい」

 

これも今思うとツッコミどころ満載ですが

当時は疑問に思わなかったんです。

 

やはり精神状態が普通じゃなかったのかもしれません。。

 

 

 

おばあちゃんを連れてマンションの集会所に行くと

すでに年寄りでいっぱいでした。

もう場所がないので、ここはお年寄り限定にしてほしい、と言われました。

 

幸い顔見知りの近所の人もいたので

おばあちゃんを預けて一人で外に出ました。

 

 

隣の中学の体育館に行ってみると

ここも足の踏み場もないほど人だらけ。

しかも渡り廊下は落ちているし、校庭には大きな亀裂が入っているし

とても安全とは思えませんでした。

 

 

毛布をかぶって暗くなりはじめたグラウンドを歩いていると

小学生の男の子を連れた女性に声をかけられました。

 

「粗ゴミで拾ったドラム缶があるので、ここで焚き火をして野宿しませんか?」

と言われたので喜んでご一緒することにしました。

焚き火をおこすと、少しづつ人が集まってきました。

 

グラウンドを見渡すと

あちこちに焚き火が出来て、その周りに人の輪が出来

なんだか不思議な一体感が漂ってました。

テントを張る人もいました。

 

私たちの輪の中に

60歳くらいの年配の女性と、30歳代の息子さんが加わりました。

女性は、震災時テーブルの下に隠れたと同時に

2階が崩れてきて生き埋めになり、助け出されたそうです。

 

屋根の下には怖くて居たくないというので

寒空の下ですが野宿することになりました。

着の身着のままで逃げて来たので

私の毛布に一緒にくるまって一夜を過ごしました。

 

 

 

あかん。。

終わらない。。滝汗

これからなのに。。

 

とりあえず、今日はここまでにします。

 

最近過去のことばかり書いてますね。。