こんにちは。官能美オーガナイザー蓮澤直美です。
性は、私を抗えない魅力で惹きつける。
性なしには、私の人生はカラフルな彩りを失ってしまう。
ブログに『官能美=性』を書かなくなって約2年間、私のテーマは性の本質を追求することだった。
もし性がセックスや男女関係だけならば、
愛する夫や次々と看取った愛する者達の死や、
私自身の体の変化などで
わたしの性は、とっくに終焉している。
でも性には、もっと深い何かが隠れてている。
性は、死や病気や災害の奥深くに潜んでいて、
わたしをもっと深く底へ底へと
ずるずるとひきづり込む魔力がある。
恋愛や男女関係の性は、考えなくても肌で感じる。
だが、性と死がどうつながっているのだろう。
性と自然災害、経済問題がどうつながっているのだろうか。
それをわたしは感得したかった。
観念ではなく肌で、体で、わかりたかった。
夫の死の哀しみがあまりにも深く、
わたしは心を閉ざし、身体を閉ざし、官能を閉ざした。
性がわからくなり、死の哀しみに沈んだ。
1年が経ち、タオの師のもとで舞踊を始めたが
こんどはずっと寄り添ってくれていた二十歳の愛猫、珠ちゃんが他界。
わたしの腕の中で息をひきとった彼女の最後の唸り声が、まだ耳からはなれない。
喪失感でまた動けなくなった時期に、
こんどは息子が国際レベルの経済問題に巻きこまれた。
寝れないことなど一度もなかった私が
心配と不安で何ヶ月も不眠症になった。
そして次に…
大好きな父が、これからという時にとつぜん他界した。
夫の死後2年の間、
これらのことと性が、どうつながっているのか
全くわからなかった。
官能美とか性とか言ってる場合じゃないし、
生きるだけで精一杯の私に
性を語る資格もあるはずがない。
性ってなに!?って
空にむかってなげかけたが
答えが外にあるはずもなく…
心は無性にむなしく、なぜかくやしかった。
生と死の狭間にいるときに
性などなんの役にもたたないじゃないか!と
怒りさえ湧いた。
ただただ、潜在意識のクリーニングとインナーチャイルドのケアをして
合間合間の落ち着いた時期が訪れると
性とは何かをまた考え始める。
ずっとずっと、悔しかった。
性を言葉にできないことが、哀しかった。
性を語るには、哀しみの記憶があとからあとから溢れてきて身体が拒否した。
時が経ち、
夫の死後はじめて私は
このブログを満たされながら書くことができているのは
性の本質を少しずつ体得しているからだ。
極地において潜在意識のクリーニングをつづけて
潜在意識と顕在意識の統合と、
生と死の統合を体感しつつあるからだ。
性エネルギーは
あらゆる意識の合間を流動し
身体のなかの対極にある性器と脳の中枸をつなぎあわせ、
身体と宇宙万物の合間を流動しつなぎあわせるワンネスのエネルギーだ。
性エネルギーは、生と死の合間も流動する。
巡り巡って循環し、万物一体感、ワンネスに目覚めさせる。
性が開くとか、性に目覚めるとかは
もっと脚を開いてセックスしましょう〜…
ではなく(そうであってももちろんいい)
対立する二極化をつなぎあわせて
万物一体感のワンネスに目覚めることなのである。
ワンネスの瞬間的な擬似体験が、セックスのエクスタシーというところであろうか。
生死、善悪、正しい間違ってるなどという対立のエネルギーを統合し
陰陽二つを上昇させ
本来もともとの姿であるワンネス、光にもどるプロセスである。
性を淫乱なこととして封印してきた歴史は根深すぎて
わたし達は問題(と見えるありがたいこと)の奥底に潜んでいる性エネルギーを目覚めさせず、
循環させないまま
すぐに感情の渦に巻き込まれてしまう。
そしてどっちかよくてどっちがちがうなどの対立のエネルギーで
重い体をひきずってしまう…
……忘れたくないのはそんな時にも
性エネルギーは、わたしたちの奥底で小さく小さく渦をまきながら上昇する準備を始めている。
森羅万象全てのものに宿る精霊達(風、光、木々、花etc)が
わたし達に性エネルギーを送りながら
優しく応援してくれている。
小さな蕾が花開くときは、ディバインタイミングで必ず訪れ、
時と空間が
性エネルギーを必ず開花させる。
いま私は、
性を概念で語ったり、伝えたりしたいのではなく
ただ性を生きたい。
生きたいと気づけば、わたし達は性をすでに生きている。
万物は死と再生をくりかえす。
死と生は性エネルギーそのもので
どちらかに執着しているかぎり、性が開くはずもない。
性の本質を体感し、
肌で感じ、
わたしのリズムとペースで生き
そして魂の源に還っていく。
死と生を、性と共存していく。
悦びも哀しみも悔しさも怒りも
カラフルな感情を味わい尽くしてから手放し、
光にもどっていくプロセスが
わたしの雰囲気、色気、ことば、装いとなり
目の色ににじみ出る。
命は永遠だから
何かあっても大丈夫だと頭で理解するより
(いざ何かあったら大丈夫ではいられないのだ!)
体で、
肌で、
何を体験し、感じ、手放し、循環させているかが
自分だけの物語になる。
そのオンリーワンの物語が
自分にとっての最高の人生なのだと感じている。
