こんばんわ
そそくさと家事を終え、ジャングル化した畑の草に手をつけました。
小雨が降り始めましたが家に戻ることなく抜いておりましたら、
「早う戻ってこんかーい」の声。
愛情なのだろうか、熱でも出されたら困るからなのだろうか。
昨日の
つづきです。
1955年に鹿児島大学工学部を卒業した稲盛さんは、
戦後の就職難でなかなか就職口が見つからず、
ようやく採用されたのは大学で専攻した有機化学とは関連のない、
碍子(がいし)=送電線に使われる絶縁体を生産する京都の会社だった。
碍子(がいし)=送電線に使われる絶縁体を生産する京都の会社だった。
入社してみると、給料は遅れ、社屋や工場、寮が老朽化した、劣悪な環境だった。
不満を感じて一時は辞めようとしたものの、気持ちを切り替えて、
「不平不満を並べるよりは、与えられたファインセラミックスの研究に没頭してみよう」
と腹をくくった。
研究室に寝泊まりして研究を重ね、1年半ほどして新しい材料の合成に成功し、
会社にとって起死回生となる受注を取り付けることができた。
追い込まれてもがき苦しんでも、前向きに、真摯な態度で物事にぶつかることで、
ふだんでは考えられないような力を発揮できるものだ。
上司と衝突して、27歳のときに若気の至りで会社を飛び出したものの、
はじめから自分で会社をおこそうとしたわけではなかった。
行先もなく迷っていたところに、
稲盛さんの技術を高く評価して資本金を出して支援してくれる人が現れたこともあり、
京セラという会社を始められた。
その支援者は、家屋敷を担保に銀行から1000万円の借金をして、
運転資金まで用意してくれた。
その思いに応えるため、死に物狂いの熱意で仕事を続けた。
周囲の人からは、体を壊してしまうと心配されたが、
人生や経営では、そうしたスピードで走り続けることは不可能ではない。
一日一日を「ど真剣」に走り続けることが大事なのだ。
迎合せず、正しい道を歩む
人間は行き詰ったとき、「このくらいはいいだろう」と、つい悪いことをしてしまうものだ。
しかし、どんなに難しい局面においても、
人間として考え方を貫く真摯な生き方をするべきである。
京セラ創業前に勤めていた会社は業績が低迷して待遇も悪かったため、
勤務時間中にまじめに働かずに不必要な残業をして
残業代を稼ぐことがみんなの当たり前になっていた。
それでは人件費がコストに跳ね返り会社がつぶれてしまうと考えた稲盛さんは、
入社2年目ながら残業禁止を打ち出した。
メンバーから不評を買い、
「経営者より従業員をいじめている」と労働組合で「人民裁判」にかけられたり、
夜に待ち伏せされて襲撃を受け、ケガをしたこともあった。
それでも自分が正しいと信じる道をひたすら歩んでいくことで、
多くの上司、先輩、部下がついてきてくれた。
やがて、彼らは京セラの創業メンバー、発展の担い手となった。
正道を愚直に貫けば、一時的には孤立を招くかもしれない。
しかし長いスパンで見れば、必ず実りある成果をもたらしてくれるはずだ。
世のため人のため
犯した過ちを乗り越える
セラミックス製の人工股関節を開発して、
厚生省の認可を受けて売り出したところ、
高い評価を得て全国の病院で使われるようになった。
その病院の1つからセラミックス製の人工膝関節の依頼があった。
股関節とは別に臨床実験を行い、
認可を受けて供給しなければ薬事法違反になるため、京セラは一度断わった。
それでも強くもっと作ってほしいとお願いされたため、その後も納品を続けた。
それから数年後、国会で
「京セラは認可を受けていない人工膝関節で儲けている」と糾弾され、
新聞や雑誌に悪徳商法だと書きたてられる騒ぎになった。
動機はともかく、手続きに不備があったのは確かなので、
会社として謝罪し、処分を受けた。
稲盛さんはひどく落ち込み、耐えきれないほど苦しい毎日を過ごしていた。
しかし、そのようなときこそくよくよ悩むのではなくて、
犯した過ちを深く反省したうえで、新しい一歩を踏み出すことにした。
それこそが、現在の困難を無駄にせず、将来につながる糧とする道である。
人生には必ず浮き沈みがあるが、
試練を明るく素直に受け止め、前向きに粘り強く努力した人の人生は、
大きく開けて発展していく。
一方、悲観的に屈折して受け止めた人の人生は悲惨なものとなり、
それがさらにその人の魂をすり減らして疲弊させていく。
今、不幸の渦中にある人は、
「若いときに、こんな苦労をし、こんな苦しい目に遭う人は、
日本のなかでそう多くはいない。
不幸だと思うのではなく、誰も経験できないことを経験させてもらっている」
と思うようにすべきだ。
自分が得たものを、世の中に返す
稲盛さんにはさまざまな賞を授かる機会があり、最初のうちは喜んで受けてきた。
次第に、「企業経営に成功してある程度の私財を持つ自分が
嬉々としてもらう側にいるだけでよいのか。
本当は差し上げるほうに回らないといけないのではないか」
と感じるようになった。
そして1984年4月に、
約200億円相当の私財を基本財産とした稲盛財団を設立し、
「京都賞」を創設。
京都賞の理念には、稲盛さんの人生観である
「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」
ということが第一に掲げられている。
受賞者の審査では、業績は評価できても人柄までは詳細に知ることができない。
しかし不思議とこれまでの受賞者は素晴らしい方々ばかりだった
人の行いのなかで最も尊いものは、
人のために何かをしてあげるという行為だ。
人は、誰もが人の役に立ち、喜ばれることを、最高の幸せとする心を持っているのだ。
善き「考え方」が「他力」を味方にする
「考え方」には、
私たち一人ひとりの人生を180度変えるほどの大きな力があるだけでなく、
集団の運命をも変えていく力がある。
日本航空の奇跡的な再生が果たされたのは、
何よりも社員たちの心が変わることで、仕事の姿勢、行動が変わったからだ。
かつて、プライドの高さからお客さまをないがしろにすることさえ見受けられ、
マニュアル主義のサービスをしていた社員一人ひとりが、
他に善かれかしという「考え方」に変化することで、収益も飛躍的に改善した。
善き「考え方」は、自助努力による「自力」、
周囲の人々の助けという「他力」だけでなく、
天の助けというもう一つの「他力」さえ味方にできるのだ。
わたしの前歯の1本(あとはまだ自分の歯です)は、
38年前に折れちゃってからセラミック製の差し歯ですの。
当時の値段で健康保険がきかなかったから8万円だったのを覚えています。
38年間一度も不具合はなく、稲盛さんありがとうと言いながら歯磨きをしています。
では、また明日^^

