おはようございます![]()
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昨夜はカフェディパッセロにお客さまがありまして、
労働らしい労働をしたものですから、
今朝は早起きできないかな?
と思われましたが起きました![]()
昼間は今年最初の楽アートスクールに参加でき、
久しぶりに全員参加で楽しい時間を持てたことが、
あまり疲れなかったのではないかなと。
今年は戌年ですが、
犬猿の仲のおサルさんのお話です。
宮崎県の串間市から約2kmのところ
石破海岸のすぐ近くに幸島(こうしま)という島があります。
周囲約4kmのこの島には、
阪神淡路大震災が起こった頃には、
100匹ほどのニホンザルが住んでいました。
海水浴をしたり、
餌付けされたサツマイモを海水で洗って食べるので、
「文化猿」ともいわれ観光名所ともなっていたそうでございます。
その当時から半世紀前にさかのぼります。
1950年(昭和25年)のこと、
京都大学霊長類研究所の研究者たちが、
この猿たちにサツマイモの餌付けを試みました。
2年後の1952年に成功したのですが、
その頃は20匹の猿しか幸島にはいなかったのです。
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はじめの頃、猿たちは、
サツマイモの泥を手や腕で落として食べていました。
しかし1953年のある日、
1歳半のメス猿が泥を川の水で洗い流してから
食べ始めたのです。
このメス猿の行動は、
やがて若い猿たちや母親猿たちにまねられ、
1957年には、
20匹中15匹がイモを川の水で洗って食べるようになりました。
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/09_photo.html
ところがおもしろいことに、
12歳以上のオス猿は、
イモ洗いが群れに定着して10年経っても、
イモ洗いをしなかったのです。
これは人間にも当てはまります。
ボス的立場の男性ほど新しい流れに抵抗するからです。
その後川の水が枯れたこともあり、
猿たちは海水でイモを洗って食べるようになりました。
海水の塩分がイモをおいしくしたのか、
このようにして猿たちのイモ洗いは、
淡水から海水へと変っていったのです。
そうしてある時、
大分県の高崎山の猿たちの中にも、
水でイモを洗う猿がいるのが見つかりました。
幸島で猿がイモ洗いをするのが定着してから
ずっと後のことなのですが、
彼らは幸島の猿たちとはなんの関係も無い
猿たちなのです。
あえて言うなら、
ニホンザルという点だけが同じです。
この猿のイモ洗い現象が遠く離れた幸島から、
高崎山へ伝播した現象を、
アメリカのニューエイジ科学者の第一人者
ライアル・ワトソンという人が、
ベストセラーになった彼の著書『生命潮流』の中で、
「百匹目の猿現象」と名づけ発表しました。
お若い方はご存知ないでしょうが、
当時、この言葉は広く世の中に知られるようになりました。
幸島でサツマイモを洗うニホンザルの数が
ある臨界値を超えると、
その行動は幸島の群れ全体に広がるだけでなく、
遠く離れた他の場所に生息する猿たちの間にも
自然に伝わるのではないかと考えたのです。
そして、その臨界値を便宜的に
「百匹目」としたのです。
とてもおもしろい発想ですね。
船井幸雄さんが、
この「百匹目の猿現象」は、間違いなく正しい現象である
とおっしゃったように、
わたしも自分の人生経験から、
この現象はあちこちにあるような経験をしてまいりました。
昨年のあの倒産の直前まで広告を出していた旅行会社のこと、
今年に入ってからは、
成人式当日に晴れ着を着ることが出来なくなったあの会社のこと、
なぜ今仮想通貨が躍るのか・・・。
夫もわたしも長く大企業といわれる会社に身を置きましたから、
高学歴の同僚にはたくさん出会いました。
ですが、高学歴だけど教養があるという人は、
ごくわずかでした。
船井さんが生きてきた時代は、
学問や知ることの効果がまっすぐに素直に
信じられていた時代だったのかもしれません。
でもそれは、
人に教養と人格をもたらす、
きわめて大事なことを学べた時代だったような気がいたします。
しかし、
平成の現代では、
「知」はどこか「斜」にとらえられているようです。
「技法」扱いされ、
知識人の小道具みたいに考えられているのは
大きな問題だと思います。
知ること、学ぶこと=希望です。
人間の未来に夢と可能性をもたらす大切なものですね。
長くなりそうなので、
なぜわたしも「百匹目の猿」になりたかったのかは、
後日にしたいと思います。
今日からまた月曜日。
充実した一日をお過ごしください。
では、また明日(*^.^*)

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ある行動をする人の数が一定量に達すると、
同時多発的に距離と空間を超えて、
一気に知識や行為が広がる現象です。