答えを急ぎ過ぎている | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわ雪の結晶雪だるま太郎
 
 
TVのニュースが、
岡山県・美作、積雪39cmと発表しましたが、
わが家の周りは冠雪した程度で、
生活に支障はありませんでした。
 
 
40kmほど北の鳥取県に近い美作地方は大雪だったんだと、
事故やケガがないようにと祈るばかりでございました。
 
 
 
 
 
 
 
今夜には、積雪と凍結が厳しくなるので、
休めばいいのに、そうもいかない日らしく、
旦那は雪の中出勤いたしました。
 
 
 
 



 

 

 

おばあちゃんは、

昨日の件で関係各所にご迷惑をおかけしたことなど、

知る由もなく、

いつものようにデイサービスに行きました。

 

 

お幸せなことですわ。

 

 

「高望みをしているわけでもなく、

ごく当たり前のしあわせが欲しいだけ。

なのに、そんなちっぽけな望みすらも叶えられない。」

 

 

 

精神科医の香山リカさんの診察室には、

そう訴える人が多くやって来るそうです。

 

 

いったい、どうしてこれほど

「しあわせ」が手に入りにくい時代になったのでしょうか。

 

 

ふた昔前は、

親も子も自分が生きることで精いっぱいで、

「健康で一人前に働いて自分で食べれることができればいい。」

と、何かを強制されることもなかったからでしょうか、

しあわせが手に入りにくいなどと、

わたしでさえ思ったことはありません。

 

 

何かを強制させられることも、

ありませんでしたものね。

 

 

 

 

 

今日はある人に頼まれた、おキンばあさんの手袋

(今風にいうとアームウォーマー)=指先がない手袋、

を編みましたが、

おばあちゃんがいないので、

こたつから出てきたマコが邪魔ばかりいたしました。

 



 

 

 

今の時代は、選択肢が増えたゆえのストレスが

あるような気がいたします。

 

 

確かに、今の時代は食べられるだけではありがたい

とはならないし、

個人のテイストや価値観に合った暮らしが

出来上がっている中では、

それ以外のものを強制されるのは、

むしろない方がマシとなってしまう。

 

 

でも選択肢を増やす方が、

もっと豊かでしあわせになれると思ったからこそ、

今の社会をつくってきたわけなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

時代というのは、あらがいようがないから、

その時代、その時の中で、

自分の心の在りようは決められていきますね。

 

 

ただしあわせというのは、

振り返って思うもので、

10年とか20年とか30年とか経ってみないと、

その時に自分がしあわせだったかどうかは、わからない。

 

 

 

その瞬間は不幸に思えたり、

辛い日々であっても、

そのおかげで自分の心が鍛えられたり、

豊かになったと思うこともあると思うのです。

 

 

 

 

 

 

人は誰でもしあわせになりたいと思っています。

 

 

にもかかわらず、現代は、

そのしあわせ感を多くの人が得られないでいるらしいのです。

 

 

さらには、生きる意味さえ見出せず、

悩み苦しむ人たちが増えている。

 

 

人とはない物ねだりをするもの。

 

どんな立場にあっても、必ずそこに苦労はある。

 

 

おばあちゃんが、ショートステイに行ってくれない。

 

 

それが何。

 

 

人生には無駄がないはず。

 

 

答えを急ぎ過ぎないこと。

 

 

わたしには生きる意味がここにあるのだから。

 

 

では、また明日(^_^)

 

 

 

 

 


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