啐啄同時 | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわ満月

 

昨日、梅雨明け宣言とともに我が家の今季最後の

ヒナが飛び立ちました。

 

 

 

 

毎朝、わたしの部屋の前の電線に留まって、

朝ミーティングをしています。

 

かなりにぎやかですえへへ…

 

 

 

卵の中のヒナが殻を破って出ようと、

内側からクチバシでコツコツつつくことを

「啐」と言うそうです。

 

その時、

親鳥がすかさず外から殻をついばむのが、

「啄」で、

啐と啄が同時に行われてはじめて、

ヒナは殻を破って生まれ出るというのです。

 

「啐啄同時」とは、

禅の公案を集めた『碧巌録』に出てくる言葉です。

 

この「啐啄同時」には、

「自立」を育てる教育のためのヒントが隠されています。

 

「啐」とは、

子どもが自分の足で立ち上がり、

一歩を踏み出そうとする意志であり力だそうです。

 

しかし、それはとても未熟で、

放っておいたらくじけてしまうかもしれません。

 

昭和3年から、昭和55年までの73歳まで

教壇に立ち続けた『新編 教えるということ』の著者・大村はまさん。

 

 

その大村さんは、

生徒に何の指導もしないまま

「さあ書いてみましょう」

と作文を書かせる教師を、無責任だと批判しています。

 

いきなり文章を書けと言われても、

書けるものではありませんね。

 

書きたいけれど、

書けなくて苦しんでいる子どもには、

書き出しを少しだけ教えてあげて、

その先を続けてごらんという。

 

そしてまたつかえたら、

ほんの少しだけ助けてやるというのです。

 

そういうやりとりを繰り返しているうちに、

子どもは文章を書くことを学んでいきます。

 

指導を放棄した無責任な教師ほど、

「それでは子どもの個性が育たない。」

などと言いますが、

個性は放っておいて育つものではありません。

 

一歩踏み出そうと殻を必死につつく音が聞こえたら、

ただ放っておくのではなくて、

こちらからも殻をつついてやる。

 

それこそが「自立」を育てる教育ではないでしょうか。

 

 

そして、親子の関係も一緒です。

 

子どもが一生懸命話しかけているのに、

スマホのメールやラインに夢中になって、

耳を傾けようともしない親がいますよね。

 

「うるさいわね、あっちへ行ってなさい!」

という親もいますね。

 

これでは、

子どもは自立どころか、

生きる力さえ衰退させてしまいます。

 

また、

子どもの言うことを無条件に何でも聞いてやって、

何でもやってやってる親も、

結局は自分勝手な愛情を押し付けているだけで、

子どもが自立していく道を封じてしまっている。

 

どちらも、

教育本来の「啄」ができてないという意味で、

指導することを放棄してしまった教師と同じだと思うのです。

 

 

あるいはまた、

子どもが殻を破ろうとしていることを全く無視して、

自分が正しいと思い込んだところに穴を開けてしまう親もいます。

 

かつてのわたしです(^_^;)

 

その穴から出ることを子どもに強要しているのです。

 

それは、

自分の思い通りではない作文に✖をつける教師のようなもので、

これもまた「啄」の放棄と言わざるを得ませんね。

 

 

夏休みが始まりますね。

 

小学生や中学生のお子さんをお持ちの親御さんの中には、

お子さんとの接し方に悩んでいる方が

少なからずいらっしゃることでしょう。

 

教えのプロの先生方も悩んでおられるのです。

 

「啐啄同時」

 

子どもが歯を食いしばって頑張っているときに、

殻をつついたり、

背中をちょっと押したりして、

くじけず、しっかり歩いていけるよう導いてやる。

 

この夏休みに、

大きな自信を持たせることができるといいですね。

 

多くの子どもたちが、

わが家のツバメのように自立できる、

ステップになる夏休みになりますように・・・。

 

 

では、また明日(*^.^*)

 

 

 

 

 

 


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