おはようございます![]()
岡山・美作は、晴れておりますのに、「キツネの嫁入り」状態で、
晴れておりますのに、雨が降ってきました![]()
![]()
我家の畑には、まだまだ大根が残っておりますのに、
ご近所さんから、大根を大量にいただきました。
おでん用に、輪切りにしたり、切り干し大根用に、千切りにして冷凍に
致しました。
でも、まだ15kgございますので、漬物にさせていただきました。
水があがったら、本漬けに致します。
庭が800坪、家は100坪・・・という大きな古い家。
前には、海が広がり、庭の裏には1000坪の山林がある。
四季の恵みに事欠かない自然の食材の宝庫だった。
とはいえ、今では想像もできないくらい物がない敗戦直後の物のない時代。
祖父が三菱財閥の大番頭をしていたという彼女の家も例外ではなかった。
結核で臥せがちな父にかわって、母親が大事な着物を質に入れ、
有楽町の喫茶店を切り盛りしながら家族を支えたという。
朝晩の雨戸の開け閉め、長い廊下の雑巾がけ、井戸の水汲みなど、
子どもの仕事も山ほどあった。
かまどでごはんを炊いたり、五右衛門風呂で風呂を沸かすためには、
まず、山で枯れ枝や、落ち葉を集めてこなければならない。
「自給自足の生活の中で、今思えば夢のようね。
私は、薪割の名手でね、今の何倍もの家事を子どもの頃からやっていたので、
人間力は鍛えられたの。
没落した生活の中で、母はどんな素材でも、数年を過ごした上海仕込みの
ヨーロッパの香りのする料理を作ってくれました。
私たちが集めてきた貝や、仲良くなった漁師さんからいただいた魚、
春なら山菜、秋には栗や、銀杏がどんな料理になるのか想像をめぐらしながら
食卓に着くのが楽しみでしたね。
家庭のつながりを育むのは、食卓にあるということをあの時代に知ったことは
しあわせなことでした。」
昭和51年にベストセラー『聡明な女は料理がうまい』をお書きになった
桐島洋子さんの言葉です。

食を通し、家族とつながることで育まれた生きる力の原点は、
8歳から10歳まで葉山の別荘で暮らした少女時代にさかのぼると言います。
桐島さんの持論は、「会話こそ最高のおもてなし」というものだそうで、
そのことを教えてくれたのは、食卓の父との会話だったとおっしゃっています。
桐島さんが小学校の頃から学校嫌いで、高校生になっても英語嫌いなのを
父親が心配して、おもしろい英語の本を原書で読むように勧めてくれたのが
お父様だそうです。
その中の一冊が、ジュールベールヌの『八十日間世界一周』だったそうです。
「食事中に、『今日はどこまで読んだの?』と聞きながら、父が旅行した国の
歴史や思い出話をしてくれる。
いろいろな意味で、豊かな食卓でした。」
桐島さんにとって、子ども時代の家族とのつながる食卓の記憶は、
生きて行く力を与えてくれる財産となった・・・といいます。
あの頃は貧しかったけれど、食卓に求心力がありましたね・・・ともおっしゃいます。
桐島さんは、わたしの実母と同じ昭和12年生まれのお方です。
高校卒業と同時に出版社「文芸春秋」に入社、その後20歳で独立、
昭和43年から、長女カレンさんを連れてアメリカを放浪したときも、
この料理力が大いなる力を発揮した・・・ともおっしゃいます。
お料理ができること・・・世界中どこでも生きていけるとも思ったそうです。
そして、外国で生き延びられたのは生活者として鍛えてくれた家庭のしつけの
おかげだったともおっしゃっています。
さあ、みなさんも食を通して、人生を楽しむ達人になりませんか?
先日の震災の日の報道特番で、東北のはたちのお嬢さんが、震災後、
家族で一番大切にしている決まりごとがあると言っておられました。
「よほど誰かが遅くならないかぎり、夕飯の食卓は家族で囲む。」
それが、日常の中で、一番しあわせなことだと気づいたから・・・。
今日は、ミシンがけして、楽しく、のんびりと過ごすことにしています。
毎日が日曜日の、私の特権です![]()

