今日の便利は、明日の不便 | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

わたしは、おじいちゃんや、おばあちゃんと共に、しょっちゅう病院へ行きます病院


今年に入って、すでに今日を含めて、3回参りましたあせる


より良いDr.を求めて行くので、その数、5病院にのぼります。


世の中はとても便利になり、経済的に許せる範囲でリフォームを繰り返した我が家も、便利といえば便利になりました。


しかし、その便利さに一番閉口するときが、義父母と行く病院であり、

スーパーであり、外食先です。


とにかく、年を取るとトイレが近くなります。


身障者を二人連れている身には、洋式トイレが何処にあるかを把握して行動しなければなりません。


我が家は、8年前に、2か所のトイレをその当時の最新式に変えました。


トイレに入ると、勝手に蓋が開いて、用をたすのが終わると、勝手に流してくれて、勝手に蓋が閉まる・・・というあれです。


最初使用したときは、ホントに勝手に流してくれるのか、しばし眺めてたりなんかして・・・。


我が家の愛猫のマコちゃんも、トイレに入ると蓋が勝手に開いた時、

「おかあ~ちゃん泣」といって、びっくりして跳んで出てきました走る


健康診断まえの、あのウ○チを採るときなんか、リモコンを止めるのを忘れたりなんかすると、「あ”-叫びドクロ」ってな感じで、泣けますがくがく


で、これが中々、外出すると不便なんです汗


わたしもヘッ焦り・・・と思って、ちゃんと流したか確認しますから、

義父母のトイレ使用後は、ほぼ流すことを忘れているので、流すという作業をしてあげなくてはなりません汗




海外では、自動開閉式どころか、蓋そのものがついていない便器が一般的で、ヒーターの入った便座もめずらしいらしく、

かの歌姫のマドンナが、再来日した時、

「日本の暖かいトイレが恋しかった。」とおっしゃったのは、有名です。





洋式トイレの究極の装置といえば、温水洗浄装置です。


この装置も、もとは海外で開発されたものだそうです。


しかし、日本のメーカーにより、徹底的に改良され、今では、秋葉原なんかで、

外国人が、この日本のトイレを買っていくというニュースを目にしました目


我が国の専売特許のようになったその開発史を見ると、

温水をちょうど良い場所に当てるための調査と、工夫。


水温の制御などに、体を張った日本人の「ものづくり」の徹底ぶりがよくわかりますよっ




人間は、便利さを求め続けます。


そして、日本は、本当に豊かになりました。


それは、時代の流れとともに自然なことであると思うし、企業の研究開発のネタにも、バネにもなります。


とりわけ日本人は、そういう能力が傑出していると言われています。


でも、そんな便利さに慣れてくると、何か大切なものを

どこかに置き去りにして行っているような気がするのは、わたしだけでしょうか?


まもなく、わたしも経験した阪神淡路大震災のあの忌まわしい日がやってきます。


あのとき一番、 「便利さゆえの不便」を実感したのは、エレベーターが止まったことです。


我が家は、幸いにも、一日で電気も、ガスも、水道も出ましたが、

芦屋の友人の高層マンションの20数階に、エレベーターを使わず水を

ポリタンクで持って上がったときには、足も腰も腕もガクガクでした354354


そしてまた思い出しました。




夏目漱石が、 「現代日本の開花」と題する講演を書いたものを読んだ内容を思い出します。


明治44年のことだったと思います。(今から103年前)


なんで覚えているかというと、実家の本家のおばあちゃんが、

明治44年生まれで、未だにご健在だからです好


わたしの記憶のキーワードは、明治44年ですニヤリ



漱石曰く・・・


本来の文明開化は、蕾がやがて花開くように、きちんと段階を踏んだ自然なものであるはずだ。


ところが近年の急速な文明の「開化」は、外から次々と新しい波が押し寄せてきて、眼前の波の本質を見極める暇(いとま)もないうちに、もう次の新しい波に乗り換えなければならないせわしなさである。


それは、食膳の料理を味わい尽くすどころか、どんな料理が出ているのかさえ定かでないうちに、もう次の新しい膳に置き換えられているようなものだ。


日本人は軽薄な得意顔をやめて、その「空虚さ」をこそ自覚すべきである。


・・・といった感じ。


ここで、なにかの雑誌か週刊誌で読んだ記憶によると、

「開化」を「便利化」と言い換えれば、身の回りの便利さをとことん追い続けている現代人の姿と重なります。


また、漱石は、こんなことも言っていたはずです。


どんなに「開化」が進んでも、生存の苦痛は変わらない。


「開化」が進めば進むほど、生存競争は激しくなる。


     生活は便利で、贅沢になって行っても、

     幸福が増しているわけではない・・・と。


人は、一度手にした「便利さ」を手放すことができません。


しかし、便利になればなったぶん、多くのものを失います。


車は、歩く力を、


エアコンは、寒暖に耐える力を、


パソコンは、書く力を、


あふれすぎる情報は、気づき考える力を弱めています。



物の豊かさが、心の豊かさをどんどん失わせて行きます。



かといって、さあ、昔にもどれるという人がどれだけいるでしょう?




人間にとって、豊かさのうしろに、とても大切なことがあるのだということを、

決して忘れてはならないと、今日も、病院で、おじいちゃんのトイレあとの水を流しながら思ったりなんかした・・・わたしですひゃは!





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