台湾で頑張る中高年オジサンの徒然

台湾で頑張る中高年オジサンの徒然

天安門事件(1989年)には北京に駐在、その後、広州、北京、シンガポール、台北、上海と中華圏を30年間渡り歩き、2019年9月無事にサラリーマン定年退職。これを機に台湾台北で起業、第二の人生を奮闘中。中華圏ベテランオジサンの目線で見た日々について綴ります。

所用で一時帰国していた最終日、上野公園&不忍池ランニングをして宿泊先(日暮里)への往路上で偶然明治の俳人正岡子規の庵居を見つけた。


徳川将軍家菩提寺の上野寛永寺を通り過ぎ、鶯谷駅前の坂を下ると其処はラブホテル街になっていて、通りを超えた一角にひっそりと旧日本式家屋で小さく簡素な一軒家が建っている。



 

四国は伊予松山の出身。私は司馬遼太郎の日露戦争を描いた小説とNHKドラマ“坂の上の雲”で描かれた文学人の姿を思い浮かぶ。


日清戦争時に従軍記者として戦地に渡り其処で吐血。その後、療養生活を送りながらも俳諧の道を極めるが、34歳の若さで結核が原因でこの世を去る。


“柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”

 

この小さな家屋にはもう一人の主人公で同郷の友人でもあり日露戦役でバルチック艦隊を撃滅した参謀秋山真之、東大予備門予科同級生の友人、文豪夏目漱石も度々訪れていたかと思うと思わず当時にタイムスリップしてしまう感覚だ。

 

“台湾や陽炎毒を吹くさうな(そうな)”

 

正岡子規が台湾を訪れた記録はないが、生涯で詠んだ俳句の数は約2万4千句の俳句を詠んだと言われている。その中で台湾を詠んだ1句だ。


日露戦役時(1904-5年)には既に故人となっていたが、旧大日本帝国が台湾を統治し始めた時期には、結核療養しながらも台湾の状況をひと伝手に聴いて詠んだものと思われる。

 

当時の夏の台湾、南国特有の熱さと伝染病(マラリア)の恐怖の両方が伝わる1句だ。蚊を媒介したマラリアは現代では撲滅しているが、水質の悪さの為、当時の日本人は浄水場建設や上下水道整備を徹底的にした。

 

台湾は台風の通り道で、当時は道路上に排水が溢れて大変だったらしい。日本人が作り上げた当時の排水溝も一部でまだ使用されている。ありがたいと言うか物持ちが良い国だ。


“台湾や灼熱地獄でまた走る” by つよぴー