「ない!五千円が、ない!」


友人が、ATMでお金を下ろし、帰宅してから気づいたそうです。



財布にあるはずの5000円がない。


記憶を辿ると、セルフのガソリンスタンドでお釣りを受け取り忘れていたことを思い出した。


ダメ元で電話をすると、スタッフさんがちゃんと保管してくれていて、無事に「津田梅子」が戻ってきたのだとか。



その記事をFacebookで目にした時、なぜか胸の奥に静かな余韻が残りました。


そして私は、ある神話的モチーフを思い出しました。


世界中の神話には、

**「一度、捨てられた子どもが拾われる」**物語が繰り返し現れます。


葦の舟に乗せて流され、王女に拾われたモーセ。



日本各地に残る「一度神社に置き、すぐ迎えに行く」風習。


なぜ人は、わざわざ「捨てた形」を取るのでしょうか。


それは残酷な行為ではなく、古代の感覚では――

いったん神に預け、神の子として返してもらう儀式だったと言われています。


つまり、

「私のもの」としてではなく、
「天から授かった存在」

として、もう一度迎え直す。


失うことによって、存在の意味が変わるのです。


友人の5000円も、同じ象徴を帯びているように感じました。


ただ「普通のお金」だったものが、一度失われ、戻ってきたことで、

「守られていたもの」
「見えない善意によって保たれていたもの」

へと変わった。


それはもう単なる紙幣ではなく、小さな奇跡の証のように見えます。


そして私は、もう一つ気づきました。


最近、自分の中でも長いあいだ忘れていた感覚が戻ってきています。


幼い頃の感受性。


意味もなく空を眺める時間。



役に立たない読書の楽しさ。


刻々と変わる空に感じる畏れと懐かしさ。


まるで、

神様に預けていた「内なる子ども」を、もう一度迎えに行ったような感覚。


人生のどこかで、私たちは生き延びるために感受性や自由や遊び心を手放します。


けれどそれらは消えたのではなく、ただ「預けられていた」だけなのかもしれません。


神話が教えてくれるのは、本当に大切なものは、一度失われたように見えても、必要な時に必ず戻ってくるということ。



戻ってきたとき、それは以前と同じものではない。


意味を帯び、祝福を帯び、
新しい物語をまとって帰ってくる。


友人のもとへ戻った津田梅子の5000円も、そして私のもとへ戻り始めた内なる子どもも、きっと同じ流れの中にあるのでしょう。


失ったと思っていたものが戻ってきたとき、私たちは気づきます。


――あれは失われていたのではなく、ただ「迎えに行く時」を待っていただけだったのだと。

木シルフェ木

オパーリングリーン阿部小百合ルチノー

 

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