朝、ノートに
「今日はこれをやる」と書いた瞬間に、
それが何が何でも守るべき
絶対的な法律に昇格する。
けど午後になると、もう一つの
「やった方がいいこと」のほうが
急に気分が乗ってきて、
そっちをやりたくなってしまう。
どちらを選んでも誰にも迷惑はかからないし、
どちらも正解の行動なのに、
最初の予定を曲げた瞬間に
頭の中の監視カメラが作動し、
強烈な罪悪感で自分を責め立てる
孤独な裁判が始まってしまう。
自分の気持ちに正直になって行動しようとすると、
必ずと言っていいほど
胸の奥からモヤモヤとした
罪悪感が湧き上がってくる。
それがどんなに些細なことであっても、だ。
自分の中で勝手に決めた
「やらなきゃいけないこと」よりも、
「今、こっちをやりたい」という
本音を優先しようとすると、
途端にブレーキがかかる。
たとえば、朝の時点では
「今日は絶対にブログの記事を
1本書き上げるぞ」と
手帳に意気揚々と書き込んだとする。
しかし、午後になって
いざパソコンに向かうと、なぜか急に
「いや、今はブログよりも、
ずっと後回しにしていたリール制作のほうが、
神がかったように集中してできそうな気がする」
と、急激に別のタスクへの気分が
乗ってくる瞬間がある。
リールの制作だって、私の中では
絶対にやった方がいいプラスの行動だ。
誰に頼まれたわけでもなければ、
今日が締め切りというわけでもない。
今日これをやると決めた予定を、
自分のその日の気分で
ちょっと変更するだけだ。
誰かに迷惑がかかるわけでもない。
普通なら
「よし、やる気があるうちに
細かい作業をを終わらせよう」と
軽やかにハンドルを切ればいいだけの話だ。
しかし、私の頭の中のシステムは
それを許さない。
リール用の動画を回し始めた瞬間に、
「おい、お前は朝、ブログを書くと決めたはずだ。
なぜ予定を狂わせる。楽な方に逃げるな」と、
脳内の厳しい自分が
ものすごい剣幕で怒鳴り込んでくる。
結果として、どちらも素晴らしい
生産的な行動であるはずなのに、
自分が決めた予定通りに
物事を進められない自分に対して、
いちいち心が激しく反応し、
容赦のない厳しい判断を下しては、
自分自身を責め立ててしまう。
この、どちらを選んでも
自分が悪者になってしまう
自作自演の減点方式が、
本当にしんどくてたまらない。
表面上は、周りの人から
「いつも楽しそう」
「文章が砕けていて面白い」
と言ってもらえることが多い。
外向けの役割をそつなくこなし、
平気な顔をして笑う技術だけが
プロレベルに上達してしまったせいで、
私が頭の中でこんなにも血を流しながら
ひとり相撲をしているなんて、
誰も思っていないだろう。
外側からは何の問題もない人物に見えているのに、
私の内側では、厳格な裁判官が
24時間体制で稼働している。
自分で作ったルールから
1ミリでも外れた私を見つけると、
即座に起訴し、誰もいない部屋で
有罪の判決を下し続けている。
この白黒思考と
厳しすぎる監視システムのせいで、
生きているだけでエネルギーが削られていくのだ。
なぜ私は、こんなにも自分に対して冷徹で、
グレーゾーンを許さない
不器用な生き方をしてしまうのだろうか。
その原因をじっと見つめていくと、
かつて過酷な環境を必死に生き延びるために、
私の心がやむを得ず構築した古い生存ルールが、
今も狂いなく作動し続けていることに気づく。
私の歴史には、
自分の本音や欲求をそのまま外に出すと、
状況が悪化するか、あるいは
大切な居場所を失うと学習せざるを得なかった
決定的なデータ(経験)がいくつもある。
幼い頃、母親が脳梗塞で倒れた際、
父親から
「母の前で絶対に泣かないように」と言われ、
自分の寂しさや悲しさという
一番吐き出したい本音を、
小さな胸の中にグッと押し込み続けた。
買い物をするときも、
自分が本当に欲しいものは
「そんなものいらない」と否定され、いつしか
「私の選択で母に認めてもらえるものはどれか、
どれを選んだら喜ぶか」を
最優先にして動くようになった。
さらに、テストで良い点数を取ってきても、
父親からはそれが「当たり前」だと言われ、
どれだけ頑張っても報われない虚しさを抱えていた。
忘れ物をすれば担任から
頭を強く押し付けられる物理的な恐怖があり、
授業参観の給食で自分だけ時間内に完食できず、
「ダメな子だ」と自分を激しく責めて
申し訳なさで泣いた記憶もある。
これらの経験によって、私の心には
「100%完璧な白でなければ、
私はここにいてはいけない。
少しでも予定を破るような黒いズレは、
周囲からの拒絶を意味する」という、
あまりにも過酷な公式が刷り込まれてしまったのだ。
大人になってからも、
その我慢の基準はさらに強化された。
苦痛で憂鬱でありながらも
結果を出すために耐え続けた
厳しい吹奏楽部時代。
朝から晩まで終わりのない労働を強いられる
過酷なケーキ屋の環境。
何より、上司と部下の板挟みになりながら、
決められた計画を狂いなく遂行することでしか
自分の価値を証明できなかった、
携帯ショップの販売員時代。
役割の仮面を完璧に被り続け、
数字を追いかけ続けた結果、
限界を超えた私の体は、
過食嘔吐を繰り返すという
最悪の悪循環で
ボロ雑巾のようになるまで崩壊した。
私の頭の中にあるシステムは、
あの地獄のような苦痛の時代への逆戻りを、
何としてでも防ごうとしている。
だからこそ、誰も困らないはずの
ちょっとした予定変更であっても、
「ルールを曲げるな!」
「楽な方に逃げるな!」と、
命の危険を察知したかのような強烈なアラートを、
罪悪感という形で鳴らし続けているのだ。
自分を責めてしまうあの厳しい声は、
自分を苦しめるために響いているのではない。
過去のとても辛かった環境を
必死に生き延びるために、
これ以上傷つかないようにと
自分を守ってくれた、
当時の心の仕組みが今もそのまま癖として
残っているだけなのだ。
私たちは普段、
目の前にある結果や事実という、
全体のわずか1割にも満たない
「見えている部分」だけで物事を判断しがちだ。
たとえば、毎日何気なく飲んでいる牛乳や
普段から使っているペンがある。
それは目の前では単なる白い液体であり、
ペンはただの文房具だ。
しかし、その白い液体が製品になって
私たちの口に届くまでには、
酪農家の朝の早さや、
牛の体調を気遣う日々の営み、
工場のラインを動かす人たちの人生など、
目に見えない途方もないプロセスと
思いが積み重なっている。
目の前にいる大切なパートナーや
友人の姿だって同じだ。
私は自分だけのフィルターを通して
相手を見ているけれど、
本当はその人が背負ってきた歴史や、
言葉の裏にある思いなど、
知らないことの方が9割以上ある。
そして、この、
見えない9割の背景に
光を当てることこそが、
私がこれから出会うお客さんたちに対して、
何よりもやっていきたいアプローチなのだ。
世の中には、今目の前で
その人がどんな結果を出しているのか、
どんな仕事をして何を達成したのかという
表面上の事実ばかりを評価する仕組みが溢れている。
けれど、私はそんな1割の見えている事実だけで、
その人の価値を判断したくはない。
その人が今、その場所にたどり着くまでに
どれだけの葛藤があり、どんな涙を流し、
どんな思いでその選択をしてきたのか。
目の前にある単なる行動の結果ではなく、
その人の奥底にある人間性や、
目には見えない美しい背景を、
言葉という形にして表現していきたい。
だからこそ、私はこれから出会う
お客さん一人ひとりの内側と、
誰よりも深くつながりたいと思っているのだ。
1割の事実を綺麗に並べただけの紹介文ではなく、
その人の9割の背景を言語化することで、
その人自身の存在を丸ごと肯定していきたい。
それは、自分自身の内側に対しても、
全く同じことが言える。
今、私が感じている
この異常なまでの罪悪感や白黒思考も、
表面的な「性格の悪さ」や「未熟さ」のせいだけではない。
その奥には、忘れ物にお怯え、
居残りの給食に涙し、
ボロボロになりながらお店を管理し続けた、
目に見えない9割の必死な過去の背景が詰まっている。
私が自分自身の発信で本当に届けたいのは、
単なる出来事の報告ではない。
その出来事のプロセスにおいて、
自分が一体何を感じて、どう心が動き、
どう行動したのかという、
目に見えない内側の真実のドキュメンタリーだ。
情報がどこにでも溢れている今の時代、
本当に人の心を動かすのは、
綺麗に整えられた実績や事実の羅列ではなく、
その裏側にある人間性だ。
その人がこれまでの人生で何を経験し、
そこでどう心が揺れ動いたのかという
プロセスを言葉にすること。
それによって初めて、その人の
唯一無二の魅力が画面の向こう側に真っ直ぐ伝わり、
本当に届いてほしい大切な人に
しっかりと届く文章になる。
私は、お客さん自身すら言葉にできずにいる、
その目に見えない大切な背景や
心の動きを誰よりも繊細にキャッチして、
代わりに言語化して届ける存在でありたい。
そうやって、表面的なやり取りを飛び越えて、
お互いの内側の深い部分で
カチッとつながれる人と
出会っていきたいとしみじみ思っている。
さて、今日もこれからノートを開いて、
頭の中の厳しい裁判官に
「まあまあ、
今日のところはこれで勘弁してくださいよ」と、
美味しいお茶でも差し出すような気持ちで、
自分を緩める時間を過ごそうと思う。
明日もし、予定していた買い物を
面倒くさがって後回しにし、
ソファーでゴロゴロする方を優先してしまったとしても、
私は私の優秀な監視カメラに向かって、
誇らしげにピースサインを出してやるつもりだ。
\メンバーシップを始めました/
ここは私が、飾らない言葉で記録する場所です。
ただ、私が「今、本当は何を考えているのか」を
自分自身で確かめるための、個人的な記録です。
https://note.com/webview/yasuyo_san/membership
■メルマガ「箸が転んでも」■
SNSの華やかな表面だけでは伝えきれない
「言葉の裏側」や、
私が日々クライアントの本質に潜り、
磨き上げている思考のプロセスや、
ちゃんとしていない私を曝け出している姿を
メルマガで赤裸々に綴っています。
https://fuka.email/page/12055.aspx

