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​こんにちは。
やすよ(冨田恭代)です!
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親戚の集まりで小さな子供が近づいてきた瞬間、

私の全身の細胞は「どうしよう、敵が来た」と

不自然極まりない

引きつった笑顔を浮かべてしまう。

 

 

世間には「子供はみんな可愛い天使」と

言わなければ冷酷な人間だと思われるような、

目に見えない無言の圧力が満ちていますが、

私にとって彼らは、行動予測が一切不可能な、

最も取り扱いの難しい

未知の宇宙人のような存在だ。

 

 

その苦手意識の輪郭をじっと見つめていくと、

それは子供だからという理由ではなく、

私が他人のことを「よく知らないまま、勝手な想像」で

作り上げては一人で勝手に怯えていたという、

思考の思い込みの癖だということがわかった。

 

 



 

恐怖の正体

私は昔から、子供が苦手で、いや、

正直に言えば嫌いに近い感情を抱いて生きてきた。

 

 

そんな自分が薄情で冷たい人間のように思えて

ずっと嫌だったけど、ある日、

子供に露骨につまらなさそうな顔をされた瞬間に、

私は「これは子供が嫌いなのではなく、

相手のことが分からないから怖いだけだ」という

人間関係の本質に気がついた。

 

 

世の中の「子供好き」な人々は、

一体どんな特殊能力を使って

彼らと交信しているのでしょうか。

 

 

私から見れば、子供という生き物は

完全に別の惑星からやってきた

未知の生命体だ。

 

 

とにかく、行動の予測が全くつかない。

 

 

さっきまでミニカーを握りしめて

ブーブー言っていたかと思えば、

次の瞬間には突然叫びながら

壁に頭を打ち付け始めたりする。

 

 

何を考えているのか、どこに地雷があるのか、

宇宙人の言語を解読するくらい難解なのだ。

 

 

何をしたら喜ぶのかも分からないから、

こちらは接客業で培った

お世辞スキルを総動員して、

「わあ、すごいね! カッコいいね!」と

引きつった笑顔で

必死にご機嫌を取ることになる。

 

 



 

通じない大人のルール

しかし、彼らは大人と違って、

社会的なお世辞や建前という

便利な包み紙を持っていない。

 

 

大人の世界であれば、どれだけ初対面で

気まずい空気が流れていようとも、

「最近、雨が多いですね」とか

「そのお洋服、素敵ですね」といった、

中身は空っぽだけど場を調和させるための

便利な言葉のラリーが存在する。

 

 

お互いに対人関係の仮面を被りながら、

適度な距離感を保って

大人の立ち回りができる。

 

 

しかし、子供の世界には

そんな生ぬるいルールは

1ミリも通用しない。

 

 

そして何より恐ろしいのは、

彼らが「残酷なまでに素真面目すぎる」

ということだ。

 

 

良かれと思って、引きつった笑顔で

「何して遊んでるのー?」と

精一杯のテンション

を絞り出して声をかけてみたとする。

 

 

大人の人間関係なら、どんなに退屈でも

「あ、これです」と話を合わせてくれる。

 

 

だが、彼らは違う。

 

 

私の全力の歩み寄りに対して、

一瞬だけ無表情でこちらを見た後、

何も言わずに回れ右をして

別の部屋へ去っていったりする。

 

 

あるいは、あからさまにつまらなさそうな、

退屈極まりない態度を露骨に取ってくる。

 

 

その瞬間、私の心には鋭いナイフが突き刺さる。

 

 

大人げないと言われようが、普通に傷つくのだ。

 

 

「わざわざ気を遣って、私のキャラクターじゃない

ご機嫌取りまでしてあげたのに、その仕打ちは何?」と、

めんどくさい感情が渦巻く。

 

 

もちろん、勝手に気を遣って、勝手に空回りして、

勝手に自滅しているのは他でもない私自身なのだが、

その一連のエネルギー消費がただただ疲れるのだ。

 

 



 

苦手な大人の縮図

けれど、すべての子供が

同じように苦手なのかというと、

実はそうではないことにも気づいた。

 

 

たまに、こちらの目をじっと見て、

「これはね、こうやって遊んだよ」と、

ちゃんと言葉で対話をしてくれる子がいる。

 

 

そういう子に出会うと、「あれ、可愛いな」と

素直に思えたりするのだ。

 

 

この違いは一体何なのだろう。

 

 

そう深く掘り下げて考えてみたとき、

頭の中にパッと一つの光景が浮かび上がった。

 

 

「これ、子供だから苦手なんじゃない。

 

 

大人の人間関係で大人に対して抱いている

『あの人、苦手だな』という感覚と、

全く同じ縮図ではないか」と。

 

 

私は、昔から「苦手な人」が

死ぬほど多い人間だと思う。

 

 

人混みに行けばすぐに

他人の顔色を窺って疲れてしまう。

 

 

初対面の人が集まる場所では、

なるべく人と関わらずに、静かにしていたくて、

とにかく気配を隠して「誰も私に触れないでくれ、

会話に巻き込まないでくれ」と心の中で祈っている。

 

 

私がポツンと一人にさせている時、

周囲の「お気遣い」すら未然にブロックしたい。

だから私は、周囲の優しさを先回りして防ぐために、

いつでも「私、やることがあるのでお構いなく!」

という顔をキープしている。

 

 

というか、目を合わせないように心がけている。

そして別に見たくもない

スマホの画面をただ意味深に眺め、

指でタイムラインをスクロールし続ける。

 

 

お互いの平穏を守るための、

必死の一人芝居だ。

 

 



 

幻影との一人相撲

なぜ、そんなにも周りの人が

苦手になってしまうのか。

 

 

その原因も、子供が苦手な理由と

完全に一致していた。

 

 

それは、相手の情報を

「ちゃんと知らない」ということだ。

 

 

表面上のちょっとした

トゲのある雰囲気とか、

他人から聞いた

「あの人、怒ると怖いらしいよ」という

噂話の断片だけを拾い集めて、

私は勝手に心のシャッターを下ろす天才だ。

 

 

「きっとあの人は、

私のことを見下しているに違いない」

 

 

「絶対に話が通じない、冷徹な人なんだろう」

 

 

そうやって、相手を深く知りもしないで、

自分の偏った想像力だけで

相手をネガティブにデコレーションし、

私の中で、

恐ろしい化け物を勝手に作り出してしまう。

 

 

本当の相手の姿ではなく、

自分がネガティブに捉えた

データだけで合成した

「偽物の人間」を目の前に配置し、

その幻影に向かって私は

「怖い、苦手だ、関わりたくない」と、

一人で勝手にシャッターを下ろして

怯えていたのだ。

 

 

子供の突拍子もない行動が分からないから

恐怖を感じるのと同じように、

大人の本音が見えないから、

防衛反応として「苦手」という

ラベルを貼って逃げ出していただけだった。

 

 

人間は、分からないものに対して自動的に

恐怖や不快感を抱く。

 

 

子供だろうが大人だろうが、

年齢なんて関係ない。

 

 

対話のラリーがなく、

相手の文脈が見えない状態のまま

関わろうとするから、

お互いの歯車がガチガチとぶつかり合って、

ただ疲れるだけの時間が過ぎていくのだ。

 

 

だからこそ、

お互いの背景を知るためのコミュニケーションは、

生きる上で絶対にサボってはいけない

最重要事項なのだと私は思っている。

 

 

子供だから苦手なのではない。

大人だから苦手なのではない。

相手を一人の人間として見つめ、

対話をするための

「コミュニケーション」から、

私が勝手に逃げ出して

一人相撲をしていただけだった。

 

 



 

車椅子のしげちゃんが教えてくれたこと

この「分からないから苦手」

という人間の心理は、

私が今、愛媛で一緒に暮らしている

しげちゃんのような、

体の動かない人たちに対する世間の目線にも、

そっくりそのまま

当てはまるような気がしている。

 

 

しげちゃんは

肩から下が動かない車椅子ユーザーだ。

 

 

正直に言うと、しげちゃんと出会う前の私は、

街で車椅子に乗っている人や、障害を持っている人を

見かけたとき、どう立ち回ればいいのかが

全く分からなかった。

 

 

「何か手伝った方がいいのだろうか」

 

 

「でも、下手に声をかけたら

失礼にあたるかもしれない」

 

 

「どうしてあげるのが、

この人にとっての正解なのだろう」

 

 

頭の中で、誰も教えてくれないマニュアルを

必死にめくりながら、

一人で勝手にパニックになっていた。

 

 

何かをしてあげたいという気持ちはあるのに、

どう動けばいいのかが分からないから、

結局は「見なかったこと」にして通り過ぎてしまう。

 

 

そして後から、

「私はなんて冷たい人間なんだろう」と、

激しい自己嫌悪に陥る。

 

 

あの子供を前にして

引きつった笑顔を浮かべていた時の、

あの居心地の悪さと

全く同じ感覚が、そこにはあった。

 

 



 

「正解」よりも大切なもの

そうなると、今度は

「気遣い」と「おせっかい」の境界線という、

非常に難しい問題が浮上してくる。

 

 

相手が求めてもいないのに、

良かれと思って

勝手に先回りして手を差し伸べるのは、

ただの自己満足であり、

押し付けがましいおせっかいに

なってしまうことがあります。

 

 

相手の尊厳を傷つけてしまうかもしれない。

 

 

だけど、冷たく突き放すのは絶対に違う。

 

 

この境界線を見極めるのは、

本当に至難の業。

 

 

けれど、しげちゃんや

周囲のヘルパーさんたちのやり取りを

毎日特等席で見守っているうちに、

私の中に一つの明確な答えが浮かんできた。

 

 

大事なのは、

その行動が「正解かどうか」という

外側の結果ではない、ということ。

 

 

たとえ差し伸べた手が

少しお節介だったとしても、

あるいは少し

タイミングがズレて不器用だったとしても、

その行動の根っこに

「あなたを想う気持ち」がちゃんとあるかどうか。

 

 

そこが一番大切なのだと思う。

 

 

人間は、どんなに言葉を美化しても、

相手の行動の奥にある「本音の温度」を

直感的に察知してしまう生き物だ。

 

 

会社のノルマを達成するために

親切なフリをして

近づいてくる人の言葉は

素通りしていくのに、

不器用だけど一生懸命に

自分のことを考えてくれている人の言葉には、

胸がじわーっと温かくなる。

 

 

だからこそ、手助けのやり方を

間違えてしまうことを恐れて

動けなくなる必要はないのだと思った。

 

 

その行動を見るのではなく、

その奥にある「あなたを想う気持ち」を

お互いに受け取り合える関係性を作ること。

 

 

それこそが、障害があるかないか、

大人か子供かに関わらず、

すべてのコミュニケーションの

土台にある本質なのだ。

 

 



 

質問を止めない理由

相手のことが分からないから、

勝手に苦手になってシャッターを下ろす。

 

 

そんな不毛な人生の繰り返しは、もうしたくない。

 

 

だからこそ、今の私は、

自分が関わる大切な人たちに対して、

引かれるくらいの勢いで

めちゃくちゃ質問をしてしまう人間に

なってしまった。

 

 

ハワイのスタバで

しげちゃんを尋問したあの時のように、

「何がどうしてそうなったの?」と、

相手の心の奥底まで手を突っ込んで、

しつこいくらいに問い詰めてしまう。

 

 

客観的に見れば、

相当「鬱陶しい女」と

思われているかもしれない。

 

 

それでも私が質問をやめないのは、

相手のことを深く知らないまま、

自分の身勝手な勘違いや想像だけで

「あの人、苦手だな」と

嫌いになってしまうことが、

人生においてあまりにも勿体無いと

知っているからだ。

 

 

世の中の人は、根本的にはみんな、

誰かにとっての良い人だと思っている。

 

 

私から見れば

「ちょっと態度が冷たいな」と思える人でも、

家に帰れば子供を溺愛する

優しいお父さんかもしれないし、

誰かの大切なパートナーであり、

かけがえのない大親友なはずだ。

 

 

ただ私と価値観や仕様が一時的に

「合わない」というだけで、

根っからの悪人なんて滅多にいない。

 

 

相手が何を大切にしていて、

どんな背景を背負って

その言葉を発しているのか。

 

 

それを質問して、聞いて、深く知ることで、

心の中の化け物はスッと消え去り、

目の前にいる生身の「あなた」と、

本当の意味で繋がることができるのだ。

 

 

子供が苦手なのも、大人が苦手なのも、

その先にいる人間の本質をまだ見ていないから。

 

 

相手が何を大切にしていて、

どんな背景を背負っているのか。

 

 

それを知ることでしか、

本当の安心は生まれないと思っている。

 

 

次に初対面の場に放り込まれたら、

気まずさのあまり、

見たくもないスマホの画面を

スクロールする指の速度が

過去最高速を叩き出すかもしれない。

 

 

それでも私は、生身の誰かと

深く繋がるための「最初の1行」を、

今日も愛媛の静かな部屋で、

こうしてしぶとく書き続けていく。

 

 



 

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