マーケティングの教科書に
照らし合わせたら、
私のやり方はきっと
「型破り」に分類されてしまう。
緻密な戦略や動線が
あったわけではない。
ただシンプルに
「伝えたい」という衝動だけ。
だけど、そんなふうに
夢中で言葉を
積み重ねてきたこの6年間が、
今の私の土台を作ってくれている。
「理由」がないと、
動いちゃいけない気がする私たち
私たちは大人になるにつれて、
何をするにも「理由」や「目的」を
求められすぎている気がする。
「それやって、お金になるの?」
「その趣味、将来なんの役に立つの?」
「やるからには、
結果を出さないと時間の無駄じゃない?」
もちろん、
仕事やビジネスにおいて
「目的」を持つことは大切だ。
「これを達成したいから、これをする」
という逆算思考は、
成果を出すための王道だし、
素晴らしいことだ。
私も、自分のサービスを届ける時は、
しっかりと目的を持って熱量高く動いている。
けれど、世の中のすべての行動に
「立派な目的」が必要なわけじゃない。
本当はただ純粋に、
絵を描きたいだけなのに。
ただ走りたいだけなのに。
ただ文章を書きたいだけなのに。
「目的を持て」
「ゴールを設定しろ」
という正論に圧迫されて、
「ただ好きだからやる」
という純粋な気持ちにまで、
無理やり理由をこじつけようとして
苦しくなってしまう。
「生産性のないことをしている自分」に
罪悪感を感じて、
結局、一番やりたかったことを
手放してしまう。
もし今、
「こんなこと続けてて、
一体何になるんだろう…」
と、自分のやっていることに
自信を持てなくなっているなら。
または、立派な目的が
見つからないから動けないと
立ち止まっているなら。
安心してほしいです。
無理に理由なんてつけなくても、
あなたの「好き」
という気持ちだけで
走り出したって、
何の問題もないのだから。
戦略も大事だけど、
それだけじゃ続かなかった日々
2019年。
私がブログを書き始めたきっかけは、
最初は明確な目的があった。
集客のため。
私を知ってもらうため。
私の考えや人生を知ってもらうため。
それはビジネスとして
非常に健全な動機だし、
だからこそ最初は頑張れた。
でも、途中で筆が止まることもよくあった。
「どう書けば集客できるか」
「どう見られるか」
と考えすぎて、
方向性を見失い、
迷走した時期もよくあったし、
よくある。
目的がプレッシャーになり、
書くことが苦しくなる瞬間もあった。
それでも私は、
ブログを閉鎖することなく、
発信し続けた。
インスタも、ライブ配信も、
noteも、stand.fmも。
特に、2024年の
自分の誕生日に始めたメルマガなんて、
ビジネス的な戦略は二の次だった。
「このメルマガで
何か価値を提供しなきゃ」
「読んでくれる人を幸せにしなきゃ」
そう意気込んで始めたわけじゃない。
ただひたすら、
私がその日感じたこと、
モヤモヤしたこと、
社会への小さな反逆心を、
日記のように綴るだけ。
読者からすれば
「で、これ読ませてどうしたいの?」
と言いたくなるような内容だったと思う。
これからも相変わらず書くけども。
書いていて、自分でも何度も思った。
「これ、やってて何になるんだろう?」
明確なゴールがあるわけでもない。
ただ、睡眠時間を削って、
パソコンに向かってキーボードを叩いている。
そのエネルギーを他のことに使えば、
もっと効率よく生きられるんじゃないか?
それでも、やめられなかった。
理屈抜きに、書くのが好きだから。
自分の思いを言語化して、
ピタッとハマる言葉が
見つかった時の快感。
誰かに届いても届かなくても、
私の中から言葉が産み落とされたという
事実だけで、私は楽しかった。
今でも、自分が書いた文章を
何度も読み返して、
ニヤけたり、涙を流したりしている。
それくらい、
自分が書いた文章が好きだ。
上手いだなんて思っていない。
好きなだけ。
意味がないかもしれないと思いながらも、
どうしてもやめられない。
それは戦略を超えた、
私の純粋な遊びであり、喜び。
「好き」で走り続けた先に、
予期せぬ「信頼」が待っていた
そうやって、目的よりも衝動を優先して、
ひたすら書き続けて数年。
今、私は「出版プロデュース」
という仕事をしている。
著者の思いを言語化し、
本という形にする仕事。
不思議なことに、この仕事は
私が履歴書を持って営業に行って
手に入れたものではない。
私が、あの、
何の意味があるの?と思いながら
積み上げてきた、膨大な文章の山。
それを見てくれたのも一つの理由で、
「お願いしたい」
と、声をかけてくれたのだ。
これまでにも、
ブログのおかげで私を知って、
仕事を依頼してくださった方は
他にもいた。
目的を持たずに積み重ねた「好き」も、
いつの間にか「信頼」に変わっていた。
もちろん、目的を持って
戦略的に発信することも素晴らしい。
それはプロの仕事だ。
でも一方で、私が何の計算もなく、
ただ「書きたい! 伝えたい!」
という純粋な気持ちで
書き続けてきた文章には、
また別の種類の熱が宿っていたのだと思う。
「この人は、本当に言葉が好きなんだな」
「この人は、嘘をつかない人だな」
その理屈を超えた熱量が
伝わってくれたんだと思う。
目的を持ってやるのもいいけど、
目的が見つからないなら、
「好き」だけで走り出したっていいと思う。
私は最近ランニングを始めた。
と言っても、
アスリートのような走りではない。
亀が散歩しているくらいの、
超スローペース。
これも、ダイエットのためとか
立派な目的を掲げてしまうと、
体重が減らなかった時に
やる意味ないじゃん。
と挫折してしまうかもしれない。
だから、私はあえて
しっかりした目的を持たずに走り始めた。
「走りたいから、走る」
「あわよくば、フルマラソン走りたい」
「地方の大会に出つつ、旅行したい」
「仲間と走れたら楽しそう」
それだけでいい。
そうやって、ただ楽しく走り続けていたら、
数ヶ月後に何かが起きるかもしれない。
体力がついて
仕事のパフォーマンスが
上がるかもしれないし、
道端で運命の出会いがあるかもしれない。
でも、仮に何も起きなかったとしても、
「走っている時間が楽しかった」
「自分のために時間を使えた」
それだけで、私の人生の幸福度は
爆上がりしているのだから。
それだけで、100点満点だ。
「これをやる意味は?」
そう考えすぎて動けなくなるくらいなら、
いっそ意味なんて考えなくていい。
目的を持って行動できる時は、
そうすればいい。
でも、純粋な「やりたい」
という気持ちが湧いてきた時は、
無理にそこに目的という
タグを付けなくていい。
「ただ好きだから」
そのシンプルな情熱は、
どんなに練られた戦略よりも、
遠くまであなたを連れて行ってくれる。
誰かを好きになった時、
理由なんてないのと同じように。
「なんか好き」って最強だと思う。
私が書いた意味のない文章が、
今の私を支える最強の武器になったように。
だから、「なんとなくやりたい」を、
殺さないでほしい。
その純粋なエネルギーこそが、
いつか必ず、予想もしなかった
面白い場所に連れて行ってくれるはずだから。
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