今となっては、
本当に!?と疑われてしまうほどですが、
私は幼い頃からずっとアトピーで
ステロイドの薬を手放せない生活でした。
自分の汗で痒くなり、
着ている服の摩擦でも肌は荒れる。
髪の毛も肌に触れるだけで痒い。
そんな、ひどい痒みと共に生きてきました。
眠っていても無意識に全身掻きむしっていて
朝起きたら、布団のシーツはいつも血まみれ。
敏感肌用の優しい化粧水ですら、
つけるとすぐに肌が荒れてしまって。
余計なものが一切入っていない
手作りの化粧水さえ、
私には刺激強すぎてかぶれてしまう。
私にとって「保湿」とは、
薬を塗ること以外にあり得ませんでした。
症状がひどい時に塗る、強いステロイドは
常に使わないとどうしようもないほど
常に肌は真っ赤で、ボロボロでした。
私はそれを「治療」だと思って、
仕方ないと思っていました。
でも、それは間違いでした。
22歳の時、私は知ってしまったのです。
15年以上使い続けてきた薬が、
病気を治していたのではなく、
ただ「症状を抑え込んでいただけ」
だったということを。
ものすごい不安に襲われたあの感覚を
今でも覚えています。
これまで、誤魔化し続けていた
ということだったのか。
治る可能性はほぼないということ?
一生私はこの体とこの痒みと
生きていかなければならないということ?
メイクや化粧品は
私には一生楽しむことができないということ?
一生私はキレイになれないんだ…。
悲しすぎて、苦しすぎて
あの時の感情を今
どう言葉にしていいのか、わかりません。
家族の中で私だけが肌が弱くて、
肌がボロボロでした。
なんで私だけ!?
何か私悪いことした!?
怒りをぶつけようにも、
それを向ける矛先が無い。
すごく苦しかったし、孤独でした。
でも、悩んでいても
何も変わらない。
どうしたら「普通」になれるんだろう。と
当時のiモードで
めちゃくちゃ調べまくる毎日でした。
「もう、薬で誤魔化すのは嫌だ」
「薬のない人生を生きたい」
「本当の、何もない自分で生きたい」
そう思った私は、
脱ステロイド治療
(漢方とプラセンタへの切り替え)
を決意しました。
この決断には、ものすごく覚悟が必要なことは
血眼で調べまくっていたから
わかっているつもりではいました。
そしていつも通っていた皮膚科とは違う
漢方と美容専門の病院へ
行くことにしたのです。
その病院の先生は、
めちゃくちゃ肌がキレイな先生でした。
透き通るような白い肌で、
そんなキレイな人に、
ボロボロの肌を見られることが
ものすごく恥ずかしかったです。
その先生は、私にこう言いました。
「これから辛い日々が始まるけれど、
覚悟はできていますか?」
覚悟。
もう今の私には、ここしかなかった。
今までの苦しみもあり、
これが一生続くくらいなら
がんばるしかない、
やるしかないと思ったのです。
ただ、その「覚悟」の言葉の重みを、
私は身をもって知ることになります。
治療を始めてから待っていたのは、
想像を絶する「地獄」でした。
薬という「蓋」を外した途端、
15年以上抑え込まれていた毒素が、
一気に噴き出してきたのです。
顔はパンパンに腫れ上がり、
皮膚は今までの比じゃないほどに
ボロボロと剥がれ落ち、
常に体液が流れ出てくる。
ガーゼのハンカチを常にポケットに入れていて、
その液を押さえるように拭き取ることを
四六時中していました。
ハンカチも一枚じゃ足りないから
常に替えを持ち歩いてて。
全身が火傷をしたような状態で、
痒みと痛みで夜も眠れませんでした。
痒みというのは、拷問です。
頭が狂いそうになるんですよね。
それを止めるために、
痛みの方がまだマシだと、
血が出るまで掻きむしってしまう。
痒みを麻痺させたくて、
ただれた皮膚に
熱湯をかけたこともありました。
生活も一変しました。
働いた給料のほとんどは、
治療費に消えていきました。
週に2回注射を打ちに行き、
毎週変わる漢方の苦い薬を飲み続ける日々。
食事制限も厳しく、
上白糖は禁止、揚げ物も禁止。
「これをやれば治る」という
保証なんてどこにもないけれど、
とにかく先生の言うことを信じて、
すがるしかありませんでした。
そんな極限状態の中で、
私をさらに追い詰める出来事が起きました。
一番支えてほしいと思っていた当時の彼から、
突然こう言われたのです。
「私たちの関係について、考えさせてほしい」
おいおいおい。
伝えるタイミング大間違いだろ。
漢方医を一緒に探してくれたのは彼でした。
これからが一番辛い時だって
わかっていたはず。
それなのに、考えさせてほしい?
私は愕然としました。
でも同時に、冷たい怒りと諦めのような感情が
湧き上がってきました。
「こんな時に支えてもらえないのに、
一緒にいる必要あるのかな…」
彼には彼なりの何かがあったのかもしれない。
けど当時の私にはもう、
彼の気持ちを受け止める余裕なんて
1ミリも残っていませんでした。
私の身体はどんどん悪化していく。
明けない夜はないと言うけれど、
本当に?
もしこれが一生続いたら?
一筋の光だけを頼りに走り始めてしまって、
もう後戻りもできない。
私は、たった一人で、
暗闇の中に放り出された感覚でした。
日に日に悪化していく肌。
「人間じゃない。私は妖怪だ」
もう自分の顔の原型はありませんでした。
毎朝、変わり果てた自分の顔を見ては
泣き崩れました。
それでも仕事に行かなければならない。
当時ケータイショップで接客をしていました。
こんな状態での接客業は、
本当にしんどかったです。
マスクをしていても、
風邪なんかじゃないとわかってしまう。
お客さんからの
「大変だね」という心配の言葉さえ、
「かわいそうだね」と言われているようで、
惨めで、苦しかったです。
それでも、私には唯一、
救いがありました。
当時大好きだったサーフィンです。
本当なら、ただれた肌に紫外線なんて
絶対にダメだと言われていました。
でも、先生はこう言ってくれたのです。
「食事も制限して、あれもこれもダメだと、
息が詰まるでしょうから。
サーフィンだけは楽しんでおいで」
その言葉に甘えて、
私はボロボロの顔で海に入り続けました。
海水が染みるし、
日差しが悪化させたかもしれない。
でも、海に浮かんでいる時だけは、
「こんな肌」である自分を忘れられました。
海と戯れている時だけは、不安も恐怖も消えて、
心が解放されました。
何が効いたのかは、わかりません。
漢方なのか、注射なのか、食事制限なのか。
それとも、海水が良かったのか、
海が私の心を癒してくれたおかげなのか。
地獄のような日々が半年ほどで
だんだん赤みが引いていることに
気づきました。
そして半年が過ぎ7ヶ月が過ぎ
私の肌は、まるで生まれ変わったかのように、
ツルツルの状態になっていました。
「本当によく頑張りましたね。
本当にあの状況をよく耐えました!」
先生の言葉に、涙が止まりませんでした。
今思えばきっと先生も
不安だったのかもしれないなと
思います。
あんな酷い状態になっていく私を見て、
それでも、不安な顔を全くすることなく
大丈夫、大丈夫って
言い続けてくれたのは先生でした。
そして、あの時の私を
本当に褒めてあげたいし、
本当にありがとうと言いたいです。
覚悟して、毒を出し切ったこと。
よく決断できたこと。
本当によく頑張ったなと
過去の自分が誇らしく思います。
今では、「昔、アトピーだったんだよ」
と言っても信じてもらえないほど、
肌は綺麗になりました。
そして何より、嬉しかったこと。
それは、ドラッグストアで売っている
「普通の化粧水」が使えるようになったことです。
私にとって、市販の化粧品が使えるなんて
夢でしかないと思っていたからこそ
本当に本当に嬉しいです。
その当たり前のことが、
奇跡のように嬉しくて、
私は自分の肌を何度も撫でました。
この体験を通して、私が痛感したこと。
それは、アトピーの治し方ではなくて。
「人生を変えるには、
一度『蓋』を外す痛みが必要だ」
という事実でした。
言いたいことを飲み込んで、
妥協や諦めという薬を塗って、
平気なふりをする。
その「蓋」をしている限り、
痛みは感じずに済むかもしれません。
でも、その見えない場所で、
行き場を失った「本音」という毒は、
出口を求めて膿み続けていたのです。
変わりたい。
自分らしく生きたい。
そう願った時、私は勇気を出して、
その蓋を外さなければなりませんでした。
それは、本当に怖いことでした。
私が経験したリバウンドのように、
蓋を外した途端、
一時的に状況が悪化したように
見えたからです。
人間関係が壊れ、
一番信じていた人が離れていき、
孤独を感じ、「妖怪」のような
醜い自分と向き合う日々。
でも、今ならわかります。
あれは「悪化」ではなかったのだと。
私が本来の自分に戻るために、
どうしても必要な
「毒出し(デトックス)」の
期間だったのだと。
その一番苦しくて、カッコ悪い時期を、
誰のせいにもせず、
逃げずに耐え抜いた先にしか、
嘘のない、ピカピカの「自分」は
待っていませんでした。
そして、もう一つ。
どれだけ厳しい毒出しの最中でも、
私が海に救われたように、
心が「楽しい」「好きだ」と感じる時間だけは、
絶対に手放してはいけないのだと知りました。
その喜びこそが、
ボロボロになった自分を再生させる、
一番の薬になるからです。
半年間の地獄を耐え抜いたあの時ように、
人には、底知れない「回復する力」が
必ずあることを私は知りました。
もし今暗闇の中にいるとしても。
それは夜明け前の一番暗い時間なだけ。
そう信じています。
あの日、「私、よくやった!」と
自分を抱きしめられたように
これからも私は、自分の足で立ち、
自分の人生を選び取っていこうと
動き出した大きな決断の出来事でした。
その姿を見せることで、
誰かの背中をそっと押せることを願って。
私はここで、蓋を外して生きていきます。
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