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​こんにちは。
やすよ(冨田恭代)です!
 

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私は、人のことを「かわいそう」と、

滅多に思うことがない。

 

 

誰かが辛い経験を伝えてくれた時、

大変な状況にいる時、

多くの人がごく自然に口にするその言葉を、

私はいつも、ぐっと飲み込む。

 

 

冷たい人間だ、

と思われるかもしれない。

 

でも、違うんです。

むしろ、その逆。

 

「かわいそう」という言葉は、

優しいようでいて、実はものすごく残酷な言葉だと、

私は思っています。

 

「共感」と見せかけて、

善意を装った言葉で、

見えない壁を作っているように感じるんです。

 

 

昔、無料で募集した個別セッションに、

申し込みが「ゼロ」だったことがありました。

 

ブログを1時間ごとに再アップして

数分ごとにアクセス数を確認して、

申し込みの連絡がないか、受信メールを

何度も何度も確認して。

 

なんで!?

こんなにいいサービスで、

しかもタダなのに・・・

 

その時の私は、自分の全人格を否定されたような、

絶望感でいっぱいでした。

 

 

あの時の私が、もし誰かに

「ゼロなんて、かわいそうに」と言われていたら・・・

 

きっと、惨めで悔しくて

めちゃくちゃ腹を立てて

自分が、恥ずかしくなっていたかもしれません。

 

 

「かわいそう」という言葉には、

「上下関係」が隠れているように思うんです。

 

安全で、満たされた場所にいる側が、

問題を抱え、苦しんでいる側に向かって、

上から目線で投げかける言葉のように感じます。

 

「あなたの痛みは、私とは関係ない」

「あなたと私は違う」という、

冷たく境界線を引いている状態。

 

相手を救う言葉ではなく

「自分は一人で苦しんでいるんだ」という孤独を、

より一層、際立たせる。

 

私は、そんな無責任な見物人には、

なりたくない。

 

 

先日の、全国おしゃべり会。

 

【全国おしゃべり会とは?】

「全国おしゃべり会」は、

脳卒中や障がいがある当事者やご家族、

支援者の方々が、

直接顔を合わせて語り合える交流の場です。

主催は、自身も脳卒中片麻痺当事者である、ずーみー。 

「同じ経験をした仲間と、

気兼ねなく話せる場所を全国に作りたい」

という想いから、全国各地へ周って

直接会いに行くという旅です。

 

脳卒中という

大きな経験をされた方々の輪の中で、

その経験を持たない私は、

強烈な疎外感を感じていました。

 

 

彼らの本当の痛みも、苦しみも、

私には決して分からない。

 

私にできることは、

「共感」しようと努めることだけでした。

 

共感とは、相手と全く同じ気持ちに

なることではないと思っています。

 

相手の言葉の背景を想像し、

自分の物差しを、

一旦置いておくことだと私は思っている。

 

私には、彼らが経験した

「脳卒中」そのものの痛みを、

知ることはできません。

 

でも、その経験の中で生まれる

「孤独」や、「分かってもらえない」という悔しさは、

私にも痛いほど想像がつきます。

 

私自身の人生にも、同じ質の痛みが、

常にあったから。

 

 

おしゃべり会では、私はただ黙って、

その場にいることしかできませんでした。

 

誰かの言葉に、自分の過去を重ね合わせ、

勝手に胸を痛めたり。

 

誰かの笑顔に、

救われたような気持ちになったり。

 

共感とは、相手の痛みを

知ったかぶりすることじゃない。

 

「相手のその痛みの、

正確な形は分からない。でも、私も、別の場所で、

別の形の痛みを、知っているよ」

と、相手と同じ高さの目線でいること。

 

私にはどうしても、

他人事として、線を引くことができないんです。

 

面白そうと思って

同行を決めた全国おしゃべり会。

 

同行を決めたもう一つの理由に

安全な場所から見物しているだけの人に

なりたくなかったのかもしれないと

今この文章を書いていて気づきました。

 

それは、ちょっと大袈裟な言い方をすると

「覚悟」のようなものかもしれません。

 

 

私は人のことを「かわいそう」と

言いたくない。

 

「かわいそう」と思うこと自体が

「かわいそう」だと思うから。

 

その人自身がその人の人生を、

自分らしく生きていくことを

信じられていなかったりすると

「かわいそう」という言葉が出てきてしまう。

 

どうでもいい人には

「かわいそう」って思うことはたくさんある。

 

近しい人や大切な人には

思わないし、言わない。

 

言わないのは、私が相手の痛みを、

真剣に受け止めて、信じているから。

 

上から目線で評価したくないから。

 

無責任な優しさなら、いらない。

私がしたいのは、その痛みや苦しみの中で、

あなたという人間が、どんな風に感じて、

どんな行動を取り、

どんな表情をしているのかを、

知ること。

 

そして、他の誰も気づかないような、

その人だけの「物語」や、「人間臭さ」、

「欠陥と見せかけてる魅力」を見つけ出すこと。

 

だから、もし私に何かを打ち明けてくれた時、

私が「かわいそうに」と言わなかったとしても

ガッカリしてほしくない。

 

その時、私はきっと、

安い言葉や、簡単な答えを探しているわけじゃなくて

あなたと同じように、その問題と向き合い、

一緒に悩み、考えているはずだから。

 

 

 

 

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趣味は「人間」を観察することです。

 

たまに、私を楽しませてくれる周りの人々への、

少し意地悪な視線にもなります。

 

その視線は

鋭く自分自身の内側へと

向かうことがほとんどです。

 

「なぜ、私はあの時、

笑ってごまかしたんだろう?」 

 

「HSP気質の私が、

この社会で心地よく生きるには?」

 

そんな私の「人間観察ノート」そのものや、

外の世界の「おかしさ」と、

私の内なる世界の「厄介さ」。

 

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