胃ガン発覚から手術までの一か月③<死について感じ考える> | ondalindaზ⋆∞のびのびとしたあなたを生きよう∞⋆✧

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前回から随分開きました。

前回の記事はこちらです。
胃ガン発覚から手術までの一か月②<周りに伝えることや病院探し>

 

 

 

今日書くことは、この手術までの一か月で最も大きな発見であり、その後のわたしに根底から影響を与えたことだと思います。

なので、今までも何回か何かの折に書いていることでもあります。

痛みがありながら海外渡航し、海外で六か月過ごしていたので、胃ガンが発覚したとき、「まさか」という感じもない分だけむしろ放ったらかしていた期間の長さに自覚があるので「ヤバいな。」と思いました。

この頃のわたしは既に過去に家族でその体験があったり医療関係に関心が高かったのもあり、癌についてある程度詳しかったので、今自分にどういう可能性があるのか、今後どういうプロセスが予測されるのか、知識としてそこそこ持ち合わせていました。

そしてこの頃、スキルス胃ガンも世間でよく認知されていて、「胃ガンの中では若い人に起こりやすく、発見されづらいものなので発見されたときにはかなり進行していることが多い。」という、そういったことがその数年前くらいにまぁまぁ社会的に話題になっていました。

結果的にはわたしはスキルス胃ガンと似たタイプの癌でありながら、スキルス胃ガンではないということでした。

手術までの一か月は、とにかく検査を沢山しました。

途中、卵巣への転移を疑われ、婦人科にかかりそこで詳しい検査をしたりしました。

転移があると癌のステージが上がるので、それがわかるまでの間は特に「怖い。」と感じました。今では医学的なデータはデータとしてあったとしても、それを超えて治る人も生きる人もいるのだということを知っています。

そしてそのことの意味をある程度は深く理解しているところもあるので、今同じ体験をするとやはり「怖い。」とは思うのだろうとも思いますが、感じ方はやはり全然違うのだろうと思います。

今もし自分が「死ぬことを怖い。」と思うのだとしたら、大好きな人たちと離れるのが寂しかったり嫌だったり、地球や人間への愛着だったり、一番強い抵抗は痛いのは嫌だ、だったり、そういうのが理由であって、漠然とした死に対する恐怖ではありません。

スピリチュアルなことにある程度興味がある人たちが、「わたしは死ぬことは怖くない。」と発言されることがわりとあったりして、わたしはその言葉を聞くとき、ある種の心地悪さを感じてしまうことがあります。

本当にその人自身がそこを身につまされて感じたことがあるわけではなかったり、それほどに現実的に自分に引き寄せて想像した発言でもないことが、ほとんどの場合それが伝わってきて、どちらかというと「地球や人間」への”反抗”のような、何かまるで思春期のような少し拗ねた挑戦的なエネルギーをその言葉の背景に感じることがあります。

それに本当に歳をとってくると、人はそんなことを言わなくなったり、むしろそれでそう言う人は、このような違和感を感じないことの方が多いです。

と同時に、わたしがそこで少し心の針が振れるのは、当時自分が持った恐怖が、まだ「痛み」としてどこかに残っているため、反応してしまう自分がいるのかなーと思ってもいます。

 


わたしは今も死は怖い。人間としての”生”に愛着があるため、肉体的な痛みを衝撃を感じることができるため。

けれどそう思う反面、今はそれを想像すると怖くとも、もしその時が寿命であるならば、最終的にわたしは「怖い」とは思わないだろうと、それもぼんやり解かる感じがするのです。(皆にとってそうということではなく、自分はそう感じそうと思う、という意味です。)


ただ、この時の、手術までの一か月の間に、”死に対する漠然とした恐怖” は無くなりました。
 

最初、転移のあるなしなどがある程度分かるまでは特に、夜になって真っ暗になると恐怖がやってきました。

昼間は気丈に過ごし淡々としていたし、前向きな活力も感じながら過ごしているのですが、夜になって皆が寝静まると、まるで世界で自分だけが目を覚ましていて、ひとりぼっちのような気持ちになりました。

そうすると、”死”が脳裏にやってきます。

もともと寝つきも悪かったので、無駄に考えて過ごしてしまう夜が一番嫌で、気がついたら安心したいがために、布団の中で瞑想をしていました。

それは、わたしが自分にとってその時安心できる人たちを想像して手を繋いでいくという瞑想で、自然にそれをやってしまうのです。

その瞑想には秘訣があって、わたしが何人もの人と手を繋ぐのではなく、わたしが手を繋いだ隣の人はまた別の人と手を繋ぎ、輪になっていくというのが必ず起こり、それだと安心していくのです。

禅タロットのこのカードの絵とかなり似ています。


そしてそれは具体的な人ではなくなっていき、このように人影のようになっていくのでした。それは、エネルギー体に近い感じでした。

毎晩、最終的にこうなっていき、それで安心が広がっていくので、その時ビックリした気づきは、

「わたしは”死”が恐いのではない。

”孤独”が恐いのだ。」


と解ったことでした。

それは、わたしは、、というより、「人は、”死”が恐いのではなく、”孤独”が恐いのだ。」ということを、理解したような感覚でした。


わたしがこの瞑想で輪になっている時、それをエネルギー体のように感じ、それはわたしを護り導いてもくれているいろんな霊的存在であったのだろうと、今は思います。

ガイドや守護霊、ご先祖様など、もしくは家族のスピリット、どれがどのように入っていたのかは分からないですが、今から思うと、そのことを感じ安心に至らせてもらってもいたのだろうと思います。


でも、この気づきは、わたしにとってとても大きく、それに気づいてからは、死に対する漠然とした恐怖ではないため、「本当に恐れているものが”孤独”であるならば、それはあってないようなものだ。」と思えるようになり、とても助けられました。

人間は、孤独であるとも言えるし、孤独でないとも言える。

どちらもある意味では真実なので、ならば、”恐れるべきもの”はそこに確実に在るものではないことが解り、なんとなくでも「それが自分次第の感覚であること。」ということを感じられたのだと思います。


 

 


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