そのタイミングがやってきた日でした。
絶対に言いたいと思っていたわけじゃなく、
もし言うことがなかったとしても、
わたしの中で感謝としてともにあればいいと思っていた。
出会った6年前にほんの少しの時間、会っただけの方。
その少しの時間に、何も話はしていないのに(本当に全く話していない)
ほぼふと突然、
「あなたは話さなくてもそこにいるだけでいい。そういう人よ。」と言われた。
その言葉をもらってとても何かがすとんと落ちた。
自分の感じていることを話す、話さないにずっと葛藤があった。
なぜなら人は、自分の聞きたいことと聞きたくないことを、
既に自分の中で選択していると感じていたから。
けれど自分が「話さない選択をしている」と思えていなかった。
「聞きたくない人に話せない」そう感じるわたしは、自分に選択肢がないと思っていた。
今ほど自分を信頼できていなかった。
6年前 そんな自分との付き合いかたをどっぷり模索中のとき
長年抱えていた「わたしがわたしであること」の疑問に、
あぁ、そうだよね、そうなんだ、っていつかまとまっていくんだって わたしが見たいと願っている方向を灯す光のひとつになった。
今は、仕事を通して特に
自分が感じていることを話せる深度が増し、「わたしがわたしであること」の葛藤は
「わたしで生きること」の種に変わっていき、育っていってる。
それでも わたしが本当に究極だよなって思う(セラピストの)あり方は、
空気みたいなあり方。
いてるかいてへんか分からんくて、
カリスマ性なんて全くなくて、
微細だからこそ よく分からんままに、周りが自然に開いていく みたいな。
究極の調和で究極の自分軸だったら、そんな感じになるんじゃないかなって。
憧れ。
程遠いけど 向いてる方はそれのつもり 笑
でも フリでは絶対に辿り着けないあり方だと思うから。
今の自分をやり切ることの連続でしかいけなくても、
もらった言葉は、イノリとして生き続ける。 それがわたしの本質ならば、憧れそのものだから。
ずっと灯火になる。
昨日その方とお話する機会があり、
6年前のことを話せた。
それがそのとき、わたしに何かを落とし、今でも大切な言葉としてわたしとともにあることを。
その流れが来たのは、
同じことを再び言ってくださったから。
6年前その言葉を言われたときは、
「言葉、降りてきたんだ。きっとこの方はこれを言ったことを覚えておられることはないだろう。」って思った。
上(高次)からメッセージもらったんだ、わたし、って感じた。
でも今回同じ言葉をもらっても、
降りてくるというより、意識を持ったまま繋がっている
その方自身の言葉であり、
ハイアーセルフの言葉であった、そんな感じがした。
6年の歳月を経て、そう感じた。
6年という積み重ねに尊敬と畏敬の念を感じます。
そしてセラピストとしての活動に、また新たなありがたい言葉をいただいた。
その言葉をまた大切にしながら、
積み重ねていきたいな。
その種を、花を、育てていきたい。
※セッション後にいただいたメッセージ等は、お伺いすることなく 抜粋してブログにて匿名でシェアさせていただくことがあります。
・・・潜在意識にアクセス
・・・二つのOSHOカードでリーディング&チャネリングしメールにてお伝えします
・・・見つけられるのを待っているデータに会いに行きます
・・・古いパターンを架け替え自ら望む生き方を創る
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