これまで色んな場所を巡って来た。鎌倉の良さを思う存分、伝えてくれた養老孟司教授。以前は、よく会ってくれた。なるべく長く行いたいと言っていた虫供養。もう出来なくなってしまうのは致し方ない。だからという訳ではないものの散歩がてらにでも撮っておいた。なぜか、こういう時こそ最も良いシチュエーションだったりする。虫の日を過ぎた6月7日が最高の思い出となった。
【長寿寺】
虫の日まで楽しみにとっておいた。総門をくぐって三百円を払う。境内に入って方丈に上がると絵葉書を貰える。本堂に向かって進むと、そこに足利尊氏の霊廟がある。臨済宗なので二回、額に近づけて焼香を済ませる。この日は何やら陶器の展示会を開催していたので、あまり撮っていない。しかし、ふらっと散歩がてら寄った程度に待ち受けていたのは5月として最高の演出であったのだ。まさに躑躅と牡丹の共演。まだ不必要なお喋りしている人が稀に見受けられるけど黙って見れないかな。あれって、こうなんだよね。そんなものは見れば分かる。なぜ喋ってはいけないのか未だに分かっていない人もいる。つまり感覚を研ぎ澄ませようということ。名前を付けると物事を切ってしまう。しかし本来、物事は連続している。自然の演出に対しては言葉などいらない。
【明月院】
まずは明月院ブルーで知っている人には説明不要。知っていると分かるは、まったく違う。簡単に知っているとコメント欄に書く人が後を絶たないけど知識自慢したって別にすごいとは思わない。そんなものは、いつだって入れられるモノ。本来において最も重要なのは、そこじゃないだろうと養老孟司教授が散々、述べた。他人の気持ちが分かるか、親の気持ちが分かるか、友達の気持ちが分かるか、というのが現代人に足りない。何だか韓国語が聞こえる。横から「オンマー(ママ)」と呼んでいる。知識なんてモノは、こんなもの。喋ってナニジンかぐらい分かる。ある程度、混み合うことは覚悟の上。臨済宗は、やはり別格の世界を演出。
【長寿寺】
臨済宗建長寺派の第二弾。見ていると正式な焼香が出来ていない人もいる。何度も書いているように臨済宗の場合、焼香は二回、額に近づける。庭園は言わずもがなで黙って見るべし。躑躅と牡丹の共演が終わり、ところどころ夏の気配を感じさせる。紫陽花の時期にスルーされがちだが、この長寿寺はガクアジサイという品種。見ていると面白い。紺色の紫陽花なんて、ほとんど見ないと思う。コメント欄に「知っている」と簡単に書く人が後を絶たないけど、この「知っている」と「分かる」は違う。現代人に足りないのが、まさに「分かる」ということ。分かるとは感覚の問題で、だからこそ鎌倉を散歩する価値がある。いつ来ても良い。
【長谷寺】
明月院と共に紫陽花の時期には、なくてはならない存在。あじさい券を買ってくる。それから境内を散歩しよう。混みすぎて訳が分からん。境内を一周して観音堂に着いたら、いつの間にか順番が来ていた。あじさい路は一段と綺麗だね。報酬を払った甲斐がある。自由で構わなくても報酬を払わない人が知識をひけらかすのは、どうなんだろうね。災害なき世を長谷観音に祈る。長谷の祈りは届くだろうか。その「長谷の祈り」という品種は上段にある薄いピンクっぽいヤツ。何だか「あじさい路」だけ別世界だ。



















































































































