では続いて行きます。
[赤岩]
赤岩という地名は「赤+岩」、赤=赤龍に因む複姓と考えられます、赤龍ことタクシャカ龍王は岡山県にいた事がわかっています、それは「赤磐市(あかいわし)」という地名にも残されていますので、現代人に優しい残り方ではありますが、赤龍も磐一族の存在を知らなければ誰も気付く事の出来ない事なのです。
上図のプロットされた所は赤龍との結びつきという意味では正しいと思いますが、時代が合っていないようです、北海道、青森県、新潟周辺、近畿、宮崎とそれぞれの地域から赤龍が出た時に生まれた赤岩という複姓のように見えます。
ポイントした点は14ヶ所、16年×14=224年分の痕跡と推測出来、赤龍が紀元前3世紀後半に誕生している事を想記させます。
[白岩]
白岩の分布も似た感じになっています、白龍はどこに土着したか分かっていませんので、プロットした周辺に白龍が誕生したときと考えられ、秋田、富士山周辺、京都、九州と四つの地域に偏在しています。
数は13ヶ所と赤岩と近似値を示しますので、白龍も同時期に生まれた事が推測できます。
黒岩(再掲)
黒岩だけは18ヶ所と多く、一時代早く誕生しているのでしょう。
[岩野]
ビックリしたのは「岩野」です、「野」とはアマテラス(大宜都比売命)の姓ですので、紀元前の大宜都比売命との複姓としては正しいのですが、じゃあ龍宮の「倉」との複姓がオカシイのではとなります、だって大宜都比売命の祖母が龍宮の「倉」なのに、岩倉は多くあったのです。
[岩倉]
龍宮が岡山県に土着しているのですが、龍宮は紀元前1世紀の中頃で、それに対して6ヶ所というのは多すぎます、プロットした点は全部で12ヶ所、初めは複数の磐一族が同時に配下に入ったと考えていたんですが....
違うでしょうね~、これも数を見たから言える事ですが、「倉」という姓を複数が名乗った証拠だろうと思います、そして「倉」を名乗った人物は稲荷族の誰かとなります、16年×12=192年、う~ん
、保食神(うけもち)でしょうね~。
紀元前210年に徐福が渡来して国狭槌尊の娘の保食神が「倉」を名乗り始めたと考えねば都合が合いません。
暫定としては稲荷族の女王が「倉」を名乗ったと考えておきましょう。![]()
それが正しいなら、プロットした所には保食神の伝承が残るハズです、でも気が向いたら検証する事にしましょう。(まずは、縄文人の痕跡が大事です。
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岩倉具視
[岩山]
岩山の分布は変に見えます、何故なら複姓の方が偏在姓が高いだなんてオカシナ話だからです、磐一族の単独の支配域がこんなに点々としている事は異常です、これは連絡要員として点在しているようにしか見えません。
つまりは日本の支配がかなり進んだ状態の時に支配域に岩山と付けた証拠なんだろうと思います、逆に言えば支配域の山名に部族名又は姓を付け始めた時期を示す資料なのかもしれません。
ポイント数はちょうど10ヶ所なので、紀元前160年頃、でもそれだと天狗森などの方が古く辻褄が合いません!
そうなると、紀元前160年頃に新たに生まれた岩一族と考えた方が良いのかもしれません、磐一族とは同族かもしれませんが、何か理由があって「岩山」を名乗り区別しているようにも見えます。
今は理由を思いつきませんが、徐福系の「岩一族」の可能性も考えないといけないでしょう。
これまで10種類の複姓を見てきましたが、天狗岩以外はだいたい紀元前2世紀までの情報しか出てきません、という事は縄文時代の情報は同時代にはあった「高一族」との複姓の方がより顕著に見えるかもしれません、「高・磐(岩)・森」同士の複姓を検証すれば見えて来る景色があるかもしれません。
龍海







