高一族の分布を考察する。 | 小野小町(五代目)の末裔、小野龍海の歴史研究

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 高一族の分布から考察を始めますが、正直予想外の展開になりました。

 

高山の分布

 

 事前の統計処理からは高山の数は147件天狗族に迫る数があると思っていましたが、紀元前の山名に絞ってプロットすると84件ほどしか無く、純粋な高一族としては天狗族の約半数の勢力である事が分かりました。

 

 

 それと高低差の等高線のある国土地理院の地図で見ていると山にも特徴があり、比較的低い山ばかりに「高山」と付いている事が分かります、これはいわゆる山岳民族では無い!という意味だろうと思います。

 

高山の例

 

 龍王族の山はだいたい300~500mの高低差はあるような岩山が好きなようで、これも龍王山と名のある山を登るとその特徴は言われずとも分かってしまいます。

 

 それに比べ高山低山が多いので龍王山との差が目立ちます、という事は「理念」や「信仰」も相当違っていた事が推測されます、高一族の中にも龍王になった人はいたので全部では無いのですが、高一族そのものはインド系とは疎遠だったことが窺えたのです。

 

 もう一つ気付いたのは「拠点」です。

 

↑ 中国地方

 

 東日本(※北海道を除く)の総数は26件ですが、中国地方だけで26件と実は最多の地域が中国地方で、その中で岡山県13件と最も多く、実は岡山県高一族の本拠地だったのです。

 

 神武東征において神武天皇吉備高島に滞在したのは有名ですが、これはヤマトとの戦争において「高一族」の参戦を促していた事が推測されます。(※伝承では全然別の意味に改竄されています。)

 

 当時、高一族を率いていたのは櫛甕魂命と思われ、櫛甕魂命五瀬命右の臣(※剣臣、将軍大将、右大臣)で、五瀬命神武天皇の前の皇太子なので、実は支える勢力としては違うのです。

 

 その五瀬命が死んで皇太子になったのが神武天皇だったので、高一族としては担ぐ神輿が無くなったので神武天皇は自分を担げと口説いていたと推測されますが、結局のところ高一族神武東征には協力していないと考えています、しかし実力はあったとみられ、神武天皇の就任時にはヤマト王権右臣となっていますので、支える勢力としては名を連ねています。

 

 がしかし、コレは神武天皇側が負けていたのを女王家が仲裁に入った後の結果であるため、神武天皇を助けていないと判断出来るのです。(※櫛甕魂命は女王家側の人間として右臣になっている)

 

 もう一つこの分布から分かる事は、豊島に残る「壇山」は檀君こと太加王の支配地だった名残と考えられる点です。

 

 

 島全体を支配域にしていないのは、豊一族の支配地を貰った為と考えますが、ここから太加王あらため「高一族」として繁栄していった事が考えられるのです。

 

 

 「壇山」は早くから気付いていたのですが、「まさか本当だとは...」というのが正直な感想です、今回の考察で「壇山」と「高一族」の分布とは相関関係があると言えますので、俄然説得力を持つことになります。ニヤリ

 

 この後も、他の部族との接続から見えるものもあると思いますので期待してて下さい。おねがい

 

 龍海