日常で役立つ哲学の教えは?
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これはたくさん溢れていると思う
気づかないうちに
あるゆるところで、教えをいただいてるのはなかろうか
それに一時期
一躍、ブーム化した
「マインドフルネス」
なんだか、瞬く間に人気を博し
本屋さんに行くと、書籍もたくさん並んでおりましたね
こうなると
一種のエンタメ感を感じてならない
そもそも、「マインドフルネス」って言葉は
外来語
2000年辺りから
学術、医療などの専門用語として使われてはじめた模様
一般化したのは、その後の2010年代から
自己系本など、やたらと注目されてきた頃合いだろうか⋯
「マインドフルネス」って素晴らしい!!
と、声を高らかに上げてる方と話す機会が
何度かあったのだが⋯
不思議に、なぜか違和感を感じまして
ふらり、書店に立ち寄ったときに
たくさん積まれてるいる
それらの本を手にしてみるものの
やはり、あのときと同じ違和感
ただ、その違和感の正体を
うまく言葉にできなかったのですが⋯
ふと、ある共通点に気づいたんです。
それ
「手段」が「目的」にすり替わっている、ということ。
本来、マインドフルネスは
“ 気づくための手段 ”のはずなのに
いつの間にか
・リラックスするためのもの
・ストレスを消すためのもの
・うまく生きるためのテクニック
そんな “ 即効性のある道具 ” として
扱われている印象が強かったんですよね。
でも、少し立ち止まって考えると
「気づく」という行為そのものは
必ずしも心地よいものばかりではない。
見たくなかった感情や
目を逸らしていた現実に
直面することもたくさんある。
つまり
本来のマインドフルネスって
“ 楽になるため ”というより
“ 正しく向き合うため ”のものなんじゃないか、と。
そして、ここでようやく
「日常で役立つ哲学の教え」に戻ってくるのですが
面白いことに
哲学って
決して “ 楽にしてくれるもの ” ではないんですよね。
むしろ逆で
・見たくないものを見る
・都合のいい解釈を疑う
・自分の前提を崩す
そんな、どちらかというと
“ 厳しさ ”を含んでいるものが多い。
例えば
「コントロールできないことは手放せ」という考えもあれば
「意味は自分で創れ」という考えもある
一見、真逆のようでいて
どちらも共通しているのは
“ 自分で考えろ ”という姿勢なんですよね。
だからこそ
流行りの言葉やテクニックとして消費するのではなく
その背景にある「問い」まで
ちゃんと受け取れるかどうかで
日常への活き方は 大きく変わってくるのだと思います。
便利な時代になって
「すぐに効く答え」が
簡単に手に入るようになったけど
本当に日常を変えるものは
案外、すぐには効かない
ちょっと面倒くさい “ 問い ” のほうだったりします。
だから今日くらいは
答えを探すよりも
“どんな問いを持つか ”に
少しだけ意識を向けてみてもいいのかもしれません。
日常への活き方は
大きく変わってくるのだと思います。
