LAW III
Disease is an effect of the basic centralisation of a man's life energy.
From the plane whereon those energies are focussed proceed those determining conditions which produce ill health.
These therefore work out as disease or as freedom from disease.
この法則の出だしでは、また新しい病気の原因~定義が述べられています。
「病気は人間の生命エネルギーの基本的な集中化がもたらす結果である」
これもまた、その前の法則Ⅰ・法則Ⅱと矛盾するものでは、当然ないわけです。
法則Ⅱは、カルマの問題でしたので違う相の話ですが、
法則Ⅰの「すべての病気は魂の生命が抑圧された結果である」とは、どういう関係にあるのか?
片やエネルギーが行き届かないことが原因と言い、ここではエネルギーの集中化=過剰が原因とされています。
一見すると矛盾のようにも感じますが、もちろんそんなことはありません。
この問題を明解にするには、人間の中を流れる2つの主要なエネルギーについて、まず知らなければなりません。
一つは「生命エネルギー」であり、
もう一つは「意識エネルギー」です。
意識エネルギーとは、私たちの関心や注意、思考や感情がどこに向けられているかを決定するエネルギーです。
何を考え、何を感じ、何を求めているかによって、その集中先は変化します。
一方、生命エネルギーとは、生命そのものを維持している根源的なエネルギーです。
これはハート・センターを通して働く生命力であり、人間という存在を生かしている基盤となる力です。
意識エネルギーが特定の領域に過度に集中していないときには、生命エネルギーはハート・センターに滞りなく流れ、健康な状態が維持されます(法則Ⅰ)。
しかし、人間の意識が特定の領域に長期間集中すると、生命エネルギーもまたその方向へ引き寄せられます。
その結果、エネルギーの流れに偏り~集中化が生じ、やがてエーテル体や肉体に影響を及ぼし、病気として現われることになります(法則Ⅲ)。
つまり、意識エネルギーは、生命エネルギーを方向づける役割りを果たしています。
私たちは意識(エネルギー)に注目しがちですが、実際に病気の発生に直接関わるのは生命エネルギーの方です。
したがって病気とは、単に肉体の異常ではなく、意識の向け方と生命エネルギーの配分との関係の中で生じる現象だということになります。
法則Ⅰでは病気を「魂の生命が十分に表現されていない状態」として定義していました。
そして法則Ⅲでは、その状態がどのようなエネルギー的メカニズムによって生じるのかを説明しています。
つまり、生命エネルギーが特定の領域に偏って集中すると、他の領域では生命の表現が不十分になります。
法則Ⅰが病気の本質を述べているとすれば、法則Ⅲはその発生過程を説明していると言えるでしょう。
法則Ⅰとの関係で考えると、今回の法則Ⅲで特に興味深いのは、病気を単純な「エネルギー不足」としてではなく、「生命エネルギーの偏った集中」として捉えている点です。
私たちは一般に、
「元気がないから病気になる」
「生命力が不足しているから病気になる」
と考えがちです。
しかし法則Ⅲは、もう少し複雑な見方を提示しています。
生命エネルギーは、本来、人間という全体の中にバランスよく流れているべきものです。
ところが、意識エネルギーが特定の領域に長期間集中すると、生命エネルギーもまたその方向へ引き寄せられます。
その結果、ある部分には過剰な集中が起こり、別の部分では不足が生じることになります。
つまり病気とは、
「生命エネルギーが少なすぎること」
だけではなく、
「生命エネルギーが偏って配分されていること」
によっても生じるのです。
このように考えると、法則Ⅰと法則Ⅲの関係も見えてきます。
法則Ⅰでは、
「すべての病気は魂の生命が抑圧された結果である」
と述べられていました。
そして法則Ⅲでは、その状態がどのようなエネルギー的メカニズムによって生じるのかが説明されています。
生命エネルギーが特定の領域に偏って集中すると、他の領域では魂の生命が十分に表現されなくなります。
その結果として病気が現われるのです。
言い換えるならば、
法則Ⅰは病気の本質的定義を示し、
法則Ⅲはその発生プロセスを説明している、
ということになるでしょう。
また、この考え方は、どこか現代医学とも通じるものがあります。
たとえば炎症や自己免疫疾患、過剰なストレス反応などは、単純な機能低下ではなく、ある働きが過剰になった結果として生じています。
もちろんベイリーの生命エネルギー論と現代医学は同じものではありません。
しかし、
「病気とは何かが足りない状態である」
という見方だけでなく、
「エネルギーの配分や集中の問題である」
という視点は、両者に共通しているようにも感じられます。
その意味で法則Ⅲは、
「何が不足しているか」
ではなく、
「生命エネルギーがどこに集中し、どこに十分流れていないのか」
という新しい観点から病気を見直すよう促している法則なのかもしれません。
また、この法則Ⅲからは、病気の原因論だけでなく、診断や治療に関する具体的な示唆も得ることができます。
法則Ⅲでは、
「こうしたエネルギーが集中している界層から、決定づける状態が進行し、それが不健康を生み出す」
と述べられています。
つまり、病気の現れ方は、その人の生命エネルギーが主としてどの界層に集中しているかによって決まる、ということです。
そのため『秘教治療』では、
「この法則は、治療家がまず最初に判断しなければならないことの一つが、エーテル体内の支配的なエネルギーがどの意識レベルから発せられているかを判断することであるということを示している。」(下巻P213)
と説明されています。
したがって、ヒーラーあるいは治療家がまず行うべきことは、病名や症状だけを見ることではありません。
クライアントや患者の話し方、関心の向け方、感情の傾向、価値観、生き方などを注意深く観察し、その人の意識が主としてどの界層に焦点化されているのかを見極めることです。
なぜなら、意識エネルギーが生命エネルギーの方向づけを行い、その結果として病気が生じるからです。
結局のところ、これはその人の進化段階とも深く関係しています。
肉体的欲求を中心に生きている人、
感情的な世界に強く同一化している人、
知性的・観念的な活動に重心を置いている人、
さらには魂意識が発達し始めている人では、
生命エネルギーの集中先も異なってきます。
したがってエソテリック・ヒーリングにおける診断とは、単に身体や症状を診ることではなく、その人の意識の重心がどこにあるかを見極めることから始まるのです。
この箇所は、法則Ⅲが単なる病因論ではなく、実践的な診断論でもあることを示している重要な部分だと思います。
現代医学では「どの病気か」を特定することが診断の中心になりますが、ここでは「どの意識レベルから生きているか」を特定することが診断の中心になります。
もちろん実際には両方必要なのでしょうが、この発想の違いは非常に大きいと思います。
ある意味でエソテリック・ヒーリングの診断とは、病気を見ることよりも、その人自身を見ることに重点が置かれていると言えるましょう。