フラや手話歌を公開した後、いろいろなご意見を拝見しました。
ありがとうございます。
フラと手話歌の選曲理由について、書きたいと思います。
最初は心身ともにとてもきつかったのですが、次第に自分の眠っていた才能が発揮されていきました。好奇心から様々な体験や調査を行うようになりました。
ある教室の体験に参加した際、質問をしたところ突然アイデアが浮かび、創作に挑戦しました。
「異端者」と呼ばれていたクムフラ・マークのフラに対する考え方が、私の大きな決め手となりました。
また、動画で、クムフラ・アリアナの一言に救われました。
「事情がある人」
・・・「YES!」
1.「負けないで」
(手話歌)
無性に歌いたくなり、当時参加していた(有)手話文化村の翻訳学習の流れで、同じ建物の上階にあったDNN(デフニュースネットワーク)に後輩がいると知り、遊びに行った際にお願いして使用させていただきました。
福島の方々への思いも込めています。これが初めて公に手話歌を歌った曲です。
2.「みんなで笑顔を分けよう
〜希望の花Love〜」
(作詞・手話歌・フラ・日本フラ)
初めての創作はすべてサイレント作品でした。
サポーターと話し合った結果、当時はAIも知らず、朗読のような仕上がりになってしまい、満足のいく曲にはなりませんでした。
サイレントのままで多くの聴衆を相手にするステージ出演について迷っていました。そんな私に勇気をくださったのは、年配のろう者のフラ仲間とサポーターたちでした。彼らのおかげで力を合わせてステージで披露することができ、一生忘れられない思い出となりました。
3.「カモメの水兵さん」
(手話歌・日本語フラ)
横浜在住ということもあり、日本唱歌・童謡を手話歌にしたくて選びました。
山下公園には歌詞が刻まれた石碑があります。
振り付けを作るにあたり「波でチャップチャップおせんたく」の表現は最初の頃のサポーターの手話を参考にしつつ、自分なりにアレンジしています。フラとの組み合わせが適切だったかは迷いがありましたが、その後、修正し、辿り着けました。
4.「赤鼻のトナカイ」
(手話歌・日本語フラ)
私の十八番。クリスマス会には毎年デフフラの元仲間と一緒に披露していました。
5.「故郷」
(手話歌・日本語フラ)
有名な日本唱歌として選択。ろう者4人で踊った際、とても可愛らしい振り付けになりました。
「故郷」の振付は、単語毎に取り入れる日本語対応手話と異なる日本手話によく似ています。つまり、「雨が降った」の後に「オーバーオーバー」を入れないとろう者に、雨はどんな量なのか感じなのか伝わらないと言うような例えがあるように、「故郷」にも「愛」のフラ用語も含まれています。
群馬や長野のフライベントも良い思い出が作れました。ありがとうございます。
群馬の方では前日は観光にまわり、その翌日は気分により、「水は清き」のあたりで、日本手話のくせが出たのか、水を飲むイメージを披露中にアドリブを取り入れてしまったこともありましたが、当時のフラ仲間たちは冷静に踊っていただけました。またろう者のヘアスタイリストもビデオ・写真担当にも感謝しています。
6.「瀬戸の花嫁」
(手話歌・日本語フラ)
昔、ろうの兄の影響で選曲。フラには戦いを表現する動きもあると海フラのクムフラから学んだの思い出し、それを「大丈夫」に取り入れました。声で歌うサポーターもいて、手話歌は、最初の頃のサポーターが引き受けていただいたお陰で、安心して踊れました。
手話が分からない方々にも「美しい」と評価され、涙を流す方もいました。
サポーターがいないステージでは、私流で手話歌を表現しています。
7.「E Huli Makou」
エ フリ マコウ
(手話歌・フラ)
日本手話では、両手を脇にくっつけずに三角形を作る表現がありますが、マニュアル通りに普段の会話でもその形で表現してしまう人もいます。逆の例になりますが、私も古いフラのDVDから学び、フラのVampの際に新たな発見があり、挑戦した曲です。つまり、腕を脇にぶら下げた状態でくっつけても良いということです。
さらに、聴者の協力で初めてリズム指揮を導入しました。
(Vamp:前奏・間奏・後奏の動き)
8.「世界で一つだけの花」
(手話歌)
地元のボランティア先から依頼された曲で、日本手話で手話歌を教えて子どもたちと歌ったのは初めて。多少、私流にパフォーマンスにアレンジしました。
9.「風」
(手話歌・日本フラ)
初心者向けの動きを元に創作。年配ろう仲間達と木漏れ日に公園で手話で意味を共有できた感動は忘れられません。
10.「月の夜は」
(手話歌・日本フラ)
初心者向けで体験にも使用している曲。
ami(腰を回す)のところで、参加の皆さんは四苦八苦してしまいますが、体験後、お家で練習してマスターしています。私にとって、快くて美しくて好きな曲です。
11.「おうま」
(手話歌・日本語フラ)
サポーターと音声について様々なことを語り合い、知識を深めていた時期の曲です。
手話歌は、その人らしさが大切であり、簡単に変えられるものではないと実感しました。
「ろう者はリズム的にスローモーションは合わない」と言うろう者が複数いましたが、それは間違いありません。西洋から取り入れた音楽のアウアナ(auana)はスローモーションに感じられるのですね。そのため、カヒコ(kaiko)寄りの表現にしてみました。
カヒコは、ハワイのビショップ・ミュージアムで体験して以来です。
(kahiko:古典フラ/auana:現代フラ)
12.「I Aliʻi Nō ʻOe」
イ アリッイ ノー オエ
(手話歌・フラ)
動画で見て素敵だと感じたハワイアンフラの曲です。
手話歌に翻訳してみたところ、ユニークで大変表現しやすいと感じました。
フラの振付は完成度が高く、自分で創作する気にはなれませんでした。また、ハワイアンそのものの表現であるため、練習はしたものの公開はしていません。
13.「The Hikilau Song」
ザ・ヒキラウ ソング
(フラ)
初心者向けの曲で、ハワイでは誰でも踊れると言われています。
女優のすみれさんがテレビ番組で披露していたのを見て、この曲だったと知りました。
調べていくうちに、みんなで協力して網を引き、楽しく食事をするハワイの情景が浮かび、とても気に入りました。
しかし実際には、私も含むろう者にとって、披露の途中での掛け声もなく、音楽を耳から聴けない分、暗記するために同じ振り付けを繰り返すことは難しく、練習不足のため、結果的に舞台での披露は断念しました。駄作ですが、YouTubeで限定公開中。
14.「Blue Hawaii 」
ブルーハワイ
(日本語フラ・ASLソング)
県外から通っていたフラ歴のあるろう者の方のために取り組んだ曲です。
公会堂のステージに立ったことがないと聞き、その夢を叶えたいと思ったのがきっかけで「月の夜は」と「おうま」を披露しました。
当時は電磁波症(電磁波市民問題研究会のある人は「電磁波過敏症」とは言わない)にかかったばかりで体調を崩していた時期でしたが、それをあまり表に出さず練習を続けていました。その後、「ブルーハワイ」はその方の思い入れのあるリクエスト曲で、これを機に洋画も鑑賞しました。自分で選んだ曲とは違い、振り付けには苦労し、満足のいく仕上がりにはなりませんでしたが、練習の時間はとても楽しいものでした。
後にASLの個人レッスンで翻訳していただき、手話歌としてTikTokで公開しました。
15.「どんぐり」
(手話歌)
他のろう者が動画で公開した手話歌を見て、表現は人それぞれだと感じ、自分なりに表現しました。事前練習なしでの挑戦でした。
13. 「春が来た」
(手話歌・日本語フラ)
春に某公園へお花見に行ったとき、突然知っている歌詞が浮かび、歌ったり踊ったりしてみました。
14. 「早春賦」
(日本フラ)
—————————————
<日本語歌詞(省略) >
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
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意味が難しかったため、生前の時に母に尋ねて意味や歌のことを教わりました。
何度も説明を受けましたが、まだ意味が理解できていない曲です。
懐かしく思い出したので、振付を創ってみました。
15. 「E Huli Makou」クムフラカラニ振付
(手話歌・フラ)
クムフラカラニの動画で「皆さんが使用してもよい」と公開されていたため、お借りしました。
一緒に出演した素敵な女性に、手話歌を伝授し、ハワイ語も共に歌っていただきました。
反省会の時に、声を話すと手話ではなくなりますし、ろう者から見ると分かりづらい部分があると実感したため、手話歌とフラは切り離した方が良いという説明はしておきました。
16. 「This is The Rain」
(振付未完成 フラ)
他のクムフラが踊っていた動画を見て、この曲も踊りたくなったフラ曲です。
単語には「雨」「山」「風」「海」があり、簡単そうでハワイの自然の風景が目に浮かぶような歌詞でしたが、実際に踊ってみると非常に難しい曲でした。
17.「Ka Pua U’i」
カ プア ウッイ
(フラ)
ハワイのビショップミュージアムのプログラムでカヒコを教わった時にそのクムフラが、その年の一年前に、横浜大桟橋の「カフラホア」で指導していたと知り、その時に踊られていた曲です。
再びハワイで会えると思っていた矢先に訃報を知り、この曲への想いが強くなりました。
別イベントへの出演も検討しましたが、ソロでは出演できないため断念し、最終的にNPOサイレントJAPANで披露しました。偽コロナ禍で延期していた衣装(ベロアのロングドレス)を着ることができた思い出の曲です。
18.「Puamana」
プアマナ
(手話歌・フラ)
美しい街のハワイのマウイ島・ラハイナの災害を受け、大変遺憾に思います。復興への願いを込めて披露しました。
カフラホアのチャリティTシャツを着てマーク・オータムフェスタで踊りました。
19.「お正月」
(手話歌)
手話パフォーマーズ(→手話パフォマーズ→Sugi&DeafHula)解散の月に、恒例のクリスマス曲「赤鼻トナカイ」が披露できなかったため、お正月に公開しました。練習なし。
20.「隅田川」
(手話歌)
他者の手話歌を参考にしつつ、イメージへと展開する表現方法を取り入れて、自分なりに表現しましたが駄作です。
21.「さくら さくら」
(手話歌&日本フラ)
出演先をめぐり迷いながらも、最終的にろう者の場で披露することを選びました。しかし出演前に長年の仲間が引退し、精神的に厳しい状況でした。
当日はアドリブで対応する場面もありましたが、サポーターたちの支えに感謝しています。
また、ビデオ&写真担当のろう者も大変な時の中、サポートしていただき、心より感謝しています。
22.「神田川」
(手話歌)
リズムがシンプルで選曲しました。
昔、住んでいた中古のコーポの時に一時的に通っていた銭湯を思い出し、調べたところ昨年、閉業していたことに驚きました。
23.「時代」
(手話歌)
ろう友人のご家族の死をきっかけに、元気を取り戻したい思いで披露しましたが、現在は限定公開です。
24.「ピアノが弾けたなら」
(手話歌&日本フラ)
体調を崩し、活動を休止していた中で思い出した、母からくれた歌詞付レコードの曲です。
当時は感じなかった歌詞の意味を、今になって深く理解できた気がしています。
現在、手話歌とフラをソロで表現するために取り組んでいます。
リズムの難しい部分もあり、練習を重ねています。手話歌は、メロディーを身体で覚えたうえでイメージを描く必要があり、単なる翻訳とは異なる難しさがあります。
一方でフラは多少のズレがあっても自然に見えるため、その感覚を手話歌にも応用できないか模索しています。
<その他>
25.「UFO」
(モノマネ)
突然踊れるといえば、「UFO」。
アロハ・クリスマスの時に突然の思いつきで、飛び入りで踊ってみたら、小学時代にピンクレディーの踊りにハマり毎日のように踊っていた振付はまだ身体が覚えていたと自分でもびっくりしました!
中学以来は全く踊ってなくて、歌詞の方は少ししか覚えていませんでしたが。
本来は3ヶ月で1曲のペースでしたが、
人数や調整の都合により、半年〜1年単位へと変化しました。
それでも年に1〜2曲は継続して取り組んできました。
今まで体験の際に渡された歌詞の曲については
選曲理由を深く聞いていませんが、
その背景にはそれぞれの想いが込められていたのではないかと感じています。
フラと手話は共通点があり、並行しながら進行してきました。
全ての皆さんの指摘、支え、応援などがあったからこそ、
ハワイアンフラと手話歌を紡ぎ、
私にとって素晴らしい人生が送れたと実感しております。
指摘・指南、または、勧誘をしていただいた皆さんには
感謝しております。
心を込めて、ありがとうございます。
マハロ!
以上、番号順については未確認のため未定です。
文字数に限りがあるため、大変恐縮ですが、YouTubeに掲載しているため、作詞・作曲者名は割愛させていただきました。
2026/6/30 0:37更新