今日は、パッとしない話を書きたいと思います。
先日、長年の先輩とお茶した。
同じくフリーランス仲間で、50代後半。
もう30年近いつきあいになる。
子どもも娘ー息子という組み合わせで
娘さんは、かっぱ子と同級。
妊娠時代から、家族ぐるみでお世話になってきた。
数か月ぶりくらいにお会いしたので、近況報告。
先輩の娘さんは、1年ほど海外留学へ行かれ、最近戻られたこと。
息子さんは地方の国立大に進学され、下宿暮らし。
先輩はダンナさまと2人の
静かな暮らしをしばし味わっていたとか。
一方、我が家は、かっぱ子は就職先が決まり
かっぱ太郎は受験生だけど、まったくやる気ナシ。
はらぺこくんのことは、話してない。
最近思うんですよ~~
久しぶりの人と会うと、なんかこういう近況報告になる。
そりゃ、当たり前なんだけど
表面的な、「記号」が行き来するな~って思う。
大学名とか、就職決まったとか、留学とか。
子どもの場合は、こういう「記号」。
親についても、記号は出てくる。
「認知症」とか「施設に入った」とか「元気でやってる」とか。
そういう記号から、
なんとなく、相手の幸・不幸を推し量る。
そんなの、下衆だな!とも思うけど
やっぱりこういうのは一種のマナーでもある。
進学決まったら
「おめでとうございます」だし
認知症が進んだ、と聞いたら
「だいじょうぶですか?」だし。
今まで先輩とは、もっと深くて濃い話を
たくさんたくさんしてきたのに。
一緒の職場で働いて、フリーになっても
タッグを組んだりして。
まあ、でも、なんていうか
そういう年代なのかもしれない。
子どもの巣立ち、老後のすみか、
引退後の暮らし、夫婦の関係
などなど
今までの人生の答え合わせをしたい気持ちと
まだ長い残り人生を、どうしたものかという気持ち。
自分は本当はどうしたいのか?
他の人はどうなのか?
「記号」の裏では、ひとりひとり
いろんな気持ちがうごめいているんだろう。
先輩は、かっぱ子の就職が決まったことを
「いいな~」と言った。
娘さんは、まだまだモラトリアム気分が抜けず
1年遅らせるつもりだから、と。
その心配もよくわかる。
でも、一方で
なんだかんだ、先輩にはダンナさんがいるしな、
とも思っている。
お子さんが少し足踏みしようとも
一緒に考え、背負ってくれる人がいるじゃないか。
言わんけど。
抹茶ラテをすすりながら
もうちょっとつっこんだ話もした。
老後はどこに住む?っていう話。
わたしも先輩も、地方出身で、賃貸住まいだから。
「夫の田舎に帰るのは決まってるの」
と、先輩はきっぱり言った。
東京からかなり遠い西のほう。
とはいえ、ご両親はとうに亡くなられている。
でもダンナさんは、実家のほうへ帰りたいという意思が固いらしい。
「そうなんだー。
それで、先輩はそこに迷いや、
乗らない気持ちは特にないんですか?」
「んー ないことはないけど
夫はずっと前から決めてるから。」
そっかぁ。
自分は縁もゆかりもないダンナさんの実家、
それもかなり田舎で暮らすなんて
まあ、夫婦仲がよければ十分幸せなのかな。
でも、先輩は少し付け足した。
「ほんとは
わたしはこっちに、わたしの場所が欲しいかな。」
「なるほど。
別居生活?」
「というか、二拠点?
夫のところに行ったり
こっちで自分の好きな暮らしをしたり」
「いい!!!
それは最高!!憧れる!!」
先輩とダンナさんのことは、ご結婚前から
わたしも仕事で知っている。
ダンナさんのほうが、リーダーシップがあり
先輩のほうがついていく感じのカップルだ。
「最近、ささいなことは言い返すことにしたの。」
と、先輩。
いっしょに住んでいれば、いろんな摩擦がある。
言い合いになりそうだ、と思うと
先輩はのみこむことが多いのだ、と。
「言ってもしょうがない
言っても変わらないことは、言わないの。
ささいなことなら、言い返しても
まあ大丈夫でしょ?
でも、重要なことは言い返さない。
終わりになっちゃうから。」
「いっしょにやっていけないね、って
なるから。」
「そう。別れればいいってなる。
もう、結婚したころの
燃える気持ちとか好きとか
全然ないのね。
生活をやっていくパートナー。」
「うん。そうですよね。
でも、最近思うんですよ。
人間にとって、愛とか好きとかよりも
日々を生きていくことのほうが
ずっと重大なんですよね。
今日と同じ明日が送れるということ。
そこに関わってくれる相手がいるから
日々が回っている。」
「そうだね。
明日から大きく変わってしまう、ってなったら、
それは、ものすごく怖いよね。」
しがらみ、と言うのだろうか。
でも、こうやって話していると
しがらみも、愛も、ほぼ同義のようにも思えてくる。
それによって、生かされている部分も大きい。
(おしまい)


