スピリチュアルの勉強を始めた頃に、
「『誇り』は『埃』なんです。プライドはいらないんですよ。」
と言われたことがあります。
スピリチュアルな世界では、どんなに自分が努力してやっと何かを勝ち得たとしても、自分を誇るのではないのです。そうすることができたのは全て神様のお蔭、と神を誇るのです。自分を誇ることは「埃」(⇒いらない)だそうです。これがなかなか難しい。(これも、ですね。)努力したのは自分ですから、つい、自分を誇ってしまいたくなるのが人間です。
ところが、この「誇る」を手放さないと、スピリチュアルな世界では本当に大変なことになります。ほんの少しでも誇ると「俺はすごいんだ」「私だからここまでできたんだ」と思わせる動物霊があっという間に憑いてしまうのです。毎日魂のお掃除をしていると「魔が差す」のが判るようになります。(関係ないですが、日本語って本当に良くできているというか、昔の人は霊的なことが身近だったのでしょう。まさに、「魔が差す」なのです。祈祷で病気を治すぐらいですから、昔の人たちは現代人より、遥かにスピリチュアルな生活を送っていましたよね。)
自分を誇っていると、必ず動物霊が憑きます。気をつけたいものです。これは魂が如何に浄化されていても同じです。かえって巧妙になりますので、恐ろしいです。
では、「誇らないように、いつも自分を小さく見せよう」とすると、こちらも魂さんは傷つきます。卑下 もいけない、誇ることもいけない。誇ることと卑下する ことはある意味表裏一体なのだなぁと思います。等身大の自分をありのまま受け入れ、ありのままの自分を顕すのが魂さんにとっては一番嬉しいことなのです。