神のお告げ…? | 空の宇珠 海の渦 

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-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話






三輪山には月に二回ほど登っていた。


だが、とある事情で…


今月だけは週二回登ることにした。



神のお告げと言うのはあまりないのだが…



先日、登拝の途中で


『面白いものを見せてやる…』


と師の声で聞こえた。



「面白いものってなんですの?」


独り言を言ってみたが、返事はなかった。



来る途中、頭痛がしておかしい感じはあった。


線路の側で事故はしてるし、社の周辺は波動が乱れているし…



「今日は、また、変な日だな…」と思っていた。



社の辺りで、お年寄りの団体客を見かけた。


もしや…とも思っていた。



平日だったので、人は少なかった。


上まで行っても数人しかいなかった。



一人の女性の方が、目を瞑って手を広げていた。


身体から出る波動が見えていたので、



「ほんまもん…かな」と思っていた。



暫くして…その女性が泣いているように見えた。


感動の波動が伝わってきた。



「繋がったかな?」と私は感じた。



ここはそういう場である。



「神がいる場所」と勘違いされているが、


正確には「神に会いに行ける場所」だろう。



何の不思議もないし、私にもその経験はある。



清浄な空間。


磁場


エネルギー


これらは、繋げる為の外せない要素だと考えている。


この内の空間と磁場は整っている。



後は自らのエネルギーがあれば、


誰でも繋がる事ができるだろう。

(用があるときは、向こうから繋いでくるだろう…

その時は、向こう側のエネルギーということだ)




何人かの方と話をしたのだが、そのうちに真打ちが現れた。


お年寄りの団体さんだ。



繰り広げられるショートコント。



禁足地に入り、付き添いの神職の方に叱られ…


いろいろ、面白いものは見せて頂きました。



いつも思うのであるが…


お年寄りになると、どうしてああなるのだろう?



勿論、一部の方である。



見ることに執着し、禁足地に入り。


何もないとなると、そそくさと下りていく…



ここには、こんなに良いものが溢れているのに…


手を広げれば生命の声が聞けるのに…


どうして、耳を傾けようとすらしないのであろうか?



神を見る人と、神を見ようとしない人…


それらが、同じ場に存在する。



悲しい現実が目の前にある。



しかも、先に死ぬのはお年寄りの方だ。



見ておこう…食べておこう…死ぬまでに…



これこそが、生への執着なのだろうか?


そう思えてくる。



自分の子供より若い神職に


「悪いと思ったのなら、しっかりとお祈りをしてから下りてください」


そう言われ、素直に従うのだ。



だが、自分の子供の言う事は、聞かないのであろう。



神は罰を与えない。
 

罰は自らが与えるものだ。


それを因果という人もいる。




自らが見ようとしないものは、見えない。


これは、この世の理の一つだと言える。



だが、この面白いもの…


本当の意味は別にあった…


このあと、いろいろ見ることになるのだ。


続きは…また今度!