役人の男が、手にした紙を見ていた。
「約束の時は迫っておるのだ…」
その紙には、納める物の詳細な内容が、記載されているようだ。
そこに、付き人の一人が走って来た。
「た、大変でございます!」
息が切れている。
それを言うのが精一杯であった。

「何が、大変なのだ!」
役人の男は、強い口調で言った。
「木樵共は、川の上流で堰を拵えております…」
男は、その付き人の言葉で、感情の行き場を失った。
「何だと!仕事もせずにか!」
「馬鹿者!即刻、木樵の頭を連れて参れ!」
「いや、儂が行く!」
「儂が行ってやる!」
「待っておれ!馬鹿共め!」
それだけの言葉を付き人に浴びせ、役人は歩き出した。
付き人は、その姿を呆然と見ていた。
「何をしておる!案内せんか!」
付き人に怒鳴った。
「は、はい、只今!」
付き人は慌てて役人の後を追った。
前鬼は、木の上からその状況を見ていた。
「妙な感じがするとは思っていたが…」
「ややこしくなりそうだな…」
前鬼が頬を人差し指で掻いた。
困ったときのくせである。
「真魚殿のことじゃ、既に気づいているとは思うが…」
一抹の不安がよぎった。
前鬼は、しばらく後を付けることにした。
真魚達は二つ目の堰に取りかかっていた。
それが、大方できあがっている。
二つ目ともなれば、皆が要領を覚える。
作る速度は、倍ほどに上がっていた。
距離をとって全部で三つ。
それで、段階的に水を止める。
土砂の湖の水量。
それが、三つの堰でほぼ止まる計算だ。
「俺たちにも、これだけの物が造れるのだな」
「どうした…谺…」
崑が手を止めた谺を見ていた。
「これは…」
谺が気づいた。
覚の叫ぶ声。
「いつもの獣の声ではないか…」
崑にとってはただの声だ。
だが、谺にとってはそうではない。
ただの獣では無い。
覚はこの山を司る神だ。
たきにそう聞かされてきた。
「聞いているのか、谺…」
「ああ、聞いている…」
「だけど、俺たちだけでは造れない…」
谺は真魚の存在を意識している。
真魚がいなければ到底出来ない仕事だ。
勿論、村の人も救えない。
「あの男の事か…」
「何だ、谺、妬いているのか…」
「妬いている?どうしてだ?」
「菜月があの男に、べったりだからだ…」
崑はそう言って谺をからかった。
「菜月が…どうしてだ…」
谺はその事に気づいてはいない。
だが、崑はそう思っている。
「俺は、気に食わぬがな…」
崑が言った。
「桜のことか?」
「そうだ、桜も菜月もどうかしている…」
「どこの誰かもわからぬ男に…」
「だいたい、貴族の者が俺たちと仕事をすると思うのか?」
崑はそう言って額の汗を拭った。
「とんだ食わせ者かも知れぬぞ…」
崑の言ったことは間違いでは無い。
その事実はあり得ないことなのだ。
「俺はそうは思わない…」
谺が空を見た。
「この世に一人ぐらい…」
「そういう男がいてもいい…」
「俺はそう思う」
谺は心の底からそう思っていた。
谺が真魚に感じたもの。
それは、そういうものであった。
言葉では無い。
谺に伝わる真魚の波動。
今まで感じた事はない。
耀きが存在していた。
それは、菜月や桜も感じている筈だ。
「そういうお方だ…」
谺はそう思っていた。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-