先日食事をしようと思ったときの事だ。
食卓の上に箸が無かった。
実際には1本だけ用意されていた。
その状態から…
何処かに落ちているのかと思い、テーブルの下を捜した。
だが、どこにも無い。
他の家族は食事が終わっていたので、
下げる際に、間違って持って行ったのかと思った。
洗った後に乾燥する場所を捜した。
無い。
戻ってテーブルの廻りを捜した。
無い。
迷宮に迷い込んだ私は、助けを求めた。
「箸がないぞ~!」
「ここに、あるやん!」
妻が箸を持ってきた。
「どこにあったの?」
私は聞いた。
「箸立ての中…」
「えっ?」
私は言葉が出なかった。
初めから…
箸は1本しか置かれていなかったのだ。
私が迷宮に迷い込んだ理由は、ある考えを否定したからだ。
それは、答えそのものであった。
『まさか1本だけ置かれていることはないだろう』
そう思ったことだ。
なぜなら…
『置いた人が気づく筈だ』
と思ったからだ。
1本だけ置くなど、自分としては考えられない。
そんな事はしないからだ。
だが、事件は起こった。
私はちょっと反省した。
思い込みが「迷いのツール」であると言うことを痛感した。
しかも、「答え」そのものを否定したのだ。
答えにたどり着くことは永遠にない。
思い込みは、時として良い効果をもたらす。
だが、使い方を誤れば、迷いの道に進む事になる。
全ての可能性の中に答えがある。
今回は「否定」そのものが答えであった。
全ての可能性に沿って行動していれば、見つかったはずだ。
事件を創り出したのも、私…
迷宮に迷い込んだのも,私…
私の「思い込み」が全てを生み出したのである。
なかなか意味のある体験であった。