この小説を書き始めてから、行きたいところがあった。
それは、前鬼と後鬼の故郷、天川村である。
車で2時間ほどの所にあるが、なかなか行く機会がなかった。
急に行きたくなったので、決心して行った。
だが、「ある思い込み」がこの後、面白い事件を巻き起こすとは、
この時は気づいていなかった。
見たかったのは前鬼と後鬼の像であった。
それが、天川弁財天にあると、思い込んでいたのである。
調べれば分かる情けない話である。
当然、迷うことになった。
「迷える子羊理論」そのままに…
途中、分かれ道で逆に行ってしまい、Uターン。
天川弁財天に着いたが、なんか様子がおかしい。
何も感じなかったのである。
前鬼と後鬼の像もない。
一応、見て回ったが、やはり間違いであった。
駐車場でスマホで調べ直した。
どうやら、前鬼と後鬼は龍泉寺と言う所にいるらしい。
結局、間違えた分かれ道の方向でよかったのだ。
呼ばれていたのに…思い込んでいた為に迷う羽目になった。
ちょっと反省しながら、洞川温泉に向かった。

やっと着きました竜泉寺…
龍泉寺に着いて…驚いた。
前鬼、後鬼、空海、不動明王…
すべて揃って迎えてくれた。
(なんと!座布団まで用意してくれている…?)

向かって左から後鬼、右は前鬼
そして…
どこからか溢れる霊気…
その方向に進んでいくと、泉の様なところがあった。
でも、ちょっと違う。
その泉の上…岩辺りから出ているようだった。
回り込んで見てみると、上に滝行の行場があった。
ここが、なかなかすごかった。

密教の修行の場であるが、これほどの滝は少ないのでは…
だが、滝と言っても人工の滝だ。
水はどこからか引いてきているようだ。
霊気が出ているのは、岩かその裂け目だ。
あまりにその霊気が強すぎるので、池の畔で休んでいた。
少し離れて霊気を味わっていた。(私にはこれぐらいがちょうどいい…)

中央の電灯の上に見えるのが行場の滝
風が吹いて心地良かった。
紅葉が美しい。
霊気と、美しい景色、風、全てがありがたかった。
その時…
マイクロバスが来て、ある団体さんに囲まれた…
一眼レフの高級デジカメを持ったおじいさん達、20人ほど。
中には女性の方もいた。
レンズを含めて総額、30万円程か…カメラは皆いいものであった。
(装備から見ると愛好会のようなセミプロのようだ…)
池の周りで写真を撮り始めた。
完全に囲まれてしまった…
池に映る紅葉、寺の建物、池で泳ぐニジマス、アマゴ。
それぞれの被写体にカメラを向けている。
ここで、ふとあることに気がついた。
私は、霊気という目に見えないものを楽しんでいる。
おじいさん達は目に見えるものを追っている。
どちらがいいというわけではない。
見えるもの、見えないもの…
おじいさん達には
「この人こんなところで何してんの?」
というような白い目で見られていたが…
こんなに心地いいのに、目の前の物に心を奪われている。
撮ることだけが目的で、自然を感じてない。
もう、その事しか考えていない。
「なんか、勿体ないな…」
「心で感じないと、いい写真なんか撮れないのになぁ」
私も、絵は描くので、そう感じた。
写真を撮ることが目的ではなく、
「心から感動する」
その景色を、写真に残すのが本来の目的ではないのか?
そう思ったのである。
失礼な話であるが、先は長くない方達だ。
作品展に入選する作品を撮ることは、生き甲斐ではあると思う。
だが、「先ず感動を手に入れて欲しいなぁ」と思ったのである。
心で生み出したエネルギーは魂まで届く。
それが、生命の糧となる。
それは永遠に受け継がれるのだ。
見える物が全てではなく、「その先にある何か」を創造して、
感動することが本来の目的である。
五感があるのはそのためだ。
私はふと、父の事を思い出した。
歳をとればとるほど人はこうなる。
私の父も同じだ。
やり残したことはないか…
出来るだけ見ておこう…
出来るだけ食べておこう…
死ぬ前に…
それだけでは何だか、切ない感じがするのだ。
私自身はこう思う。
「感動の瞬間が多いほど、人は豊かだ」
美しい自然を見て、心で感動を味わう。
それは自分だけしか生み出せない宝なのだと…
その事を目の前で見たような気がした。
生と死はワンセット。
死は誰にでも必ず訪れる。
なぜ、ワンセットなのか?
そこに意味があるはずなのだ。