仲恭天皇 九條陵へ行く(仲恭天皇御陵)(月輪南陵)など | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
令和元年11月3日のことです)

正覚庵の横を道を登っていくと、右手にこの様な階段が現れます

手前には維新戦役 防長藩士之墓道標の石碑

奥には九條陵 月輪南陵参道となっています

右へ入る階段から、すぐ登りの階段へ変わります


すると坂道の途中に

崇徳天皇皇后聖子 月輪南陵

崇徳天皇の皇后である藤原聖子の御陵であるようです

その坂道(階段)を更に上がっていきます

仲恭天皇御陵兆城原○(最後が読めない😓)

その辺りから振り替える

アップにすると、京都駅周辺が見えます♪

登って行った先の右手には、このように招魂の碑や

お墓(おそらくこれが防長藩士之墓)

崇忠之碑

そこは仲恭天皇御陵の一段下なので、下から見た御陵

上に上がります
仲恭天皇九條陵
住所・伏見区深草本寺山町


仲恭天皇
第85代天皇
生没年 1218~1234年
在位年 1221~1221年
後鳥羽上皇の倒幕計画に参加した順徳天皇の譲位を受け、承久3(1221)年に急遽即位
2ヶ月後、承久の乱勃発
しかし上皇方が敗れ、仲恭天皇は内裏に三種の神器を残したまま伯父である摂政・九条道家の邸宅に逃れる
乱後、即位礼はもちろん、大嘗祭(だいじょうさい)も行われないまま、幕府の意向により退位
後堀河天皇に位を譲る
死後も謚号(しごう)は定められるとこがなく、九条廃帝、後廃帝、半帝などど呼ばれ、天皇の歴代に加えられなかったそうですガーン
明治3(1870)年、謚号の仲恭が贈られ、歴代に加えられる
養育された九条殿のどこかに埋葬されたと考えられるそうですが、記録がなく埋葬地は不明ということです
こちらの陵が造られたのは、明治22(1889)年と比較的新しいものでした
(天皇125代の歴史・天皇陵謎解き完全ガイド参照)

令和2年10月17日に頂いた御陵印です

山を下って、お寺へ向かいます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ