先日、義母の転院手続きの為に日帰りで岡山に行っていました。
転院先の病院に2ヶ月間お世話になって、その後、長期療養型の病院にするか介護施設にするか決めることになっています。
我が家の場合、自宅という選択肢は端っから除外です。
そこに罪悪感は私は全く持っていないのですが、
夫や義兄弟はそうではないようです。
客観的な物言いをする、
冷静な態度な私は”血が繋がっていない”からと見られていたりします。
実際、私は”部外者”なくらいの感じで、
義兄弟が決めることに従って動くようにしています。
とはいえ、ヒートアップしている時は
「もしもーし」と第三者な目線での意見は一応しています。
兄弟が共通して持っているのは罪悪感です。
兄弟全員(4人)が15歳で家を出て、親とは離れて暮らしています。
その為、親にしてもらうばっかりで親に何もしてきていない、という思いがあるようです。
親と全く一緒にいなかった、とも思っているようです。
だったら『したいようにしたらいいんじゃない?』と端で見ているのですが、
本音のところでは「でもさぁ」っていうのがあります。
『それって本当に義母の為になっているの?』って思う場面もあったりするので。
「自分が親の立場で子ども達のことを想像してみて。
子ども達がどういう風にしてたら嬉しい?幸せって感じる?」
って夫に聞いてみたら、少しハッとしたようでした。
何かをしてくれるとかしてくれないとかは関係なくて、
好きなことをしてくれていたら嬉しいし、
ただ幸せであってくれたらいい、
って願っているだけのはずです。
将来、私達が老いて、自分達では出来ないことが発生したら、
「ごめんやけど代わりにお願い、して」ということはあるかもしれません。
そこも代理がきくなら子どもじゃなくてもいいわけです。
でも、田舎の風習の中で育ってきていると簡単には頭が切り替わらないようです。
それにしても、と思うのが
『終活をもっと迫っておけばよかった』ということです。
今後、病院にするか施設にするかを考える時に義母の意向が全く分からないまま進めなければなりません。
聞いていればそれに沿って考えることもできますが、今となっては不可能です。
それでも兄弟が義母を想って決めることですから、義母はそれだけで幸せって思っているかもしれないなぁと思ってことのなりゆきを見守っています。
アラフィフ世代は子育てが終わって、「さぁこれから私の人生を生きるぞー」というタイミングで介護に関わらないといけなかったりする世代でもあったりします。
実際、お客様にもいらっしゃいます。
お話をしていて、その根っこに罪悪感がある時があるのですが、
介護に関わっているだけで十分尊いということを伝えさせていただいています。
ついつい出来ていないことに目がいってしまうようです。
でも実際はそれ以上のことをしているということに気づいていてほしいなって思います。
頑張り過ぎなくらいなのにそれが当たり前になっていて気づけないんですね。
なので自分が一番大事でいいということもお伝えしています。
『自分が倒れている場合ではない』ということは分かっていてもケアの仕方が分からない人にはサロンに来てもらっています。
月に1回ケアをするついでに愚痴も言ってもらうようにしています。
そうすると頑張り過ぎていることに気づけるようです。
介護をしていてもしていなくても自分が一番大事でいいと思います。
体調も不安定になりがちなアラフィフですもん。
まずは自分!
これからもずっとそれでいきましょう。
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