人のことよりまず自分のことをやりましょう! | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

自分のことを棚上げして

人のことをやる人が多すぎる。

 

自分のことをやるより

人のことをやる方が楽だから。

 

人のことだったら責任を負わなくていいし、

人のことだったらなんでも言える。

 

自分の問題に向き合うのは怖い。

自分のこととなると

一歩を踏み出すことですら躊躇する。

 

 

 

 

人の人生に乗っかって生きようとするのを、

恩師である精神科医の斎藤学氏は

共依存とか、愛という暴力とか

おんぶおばけ(笑)とか

言っていた。

 

 

 

斎藤学氏が主宰していた

「さいとうクリニック」には

当事者ではなく、

子供の人生に乗っかって

子供の人生を乗っ取った親がたくさん来ていた。

 

引きこもりや摂食障害や嗜癖や

リストカットなどなどの当事者の人というのは

自らあまりやってこない。

 

その親が来る。

 

親が来て、

うちの子が病気で

うちの子が問題だから

なんとかしてほしいと言って来る。

 

 

斎藤学氏はそういう親たちに対して

「病気なのはあなたです」と言っていた。

 

 

子供のことばかりやっていて、

自分の人生がない親。

空虚を子供で埋めようとする親。

 

それが子供にとってどれだけ重いか。

 

子供が一番嬉しいのは

自分のことなんか忘れるくらいに

親が生き生きと楽しそうにしていることなのに。

 

引きこもりの子供は、

自分が引きこもって問題となることで

親の空虚感を埋めてあげていると

斎藤氏は言った。

 

 

さいとうクリニックに

あるお母さんがやつれ果てて来て

斎藤学氏に相談したことがあった。

 

*さいとうクリニックでは

オープンミーティングと言って、

みんなの前で斎藤学氏に質問し、

斎藤氏が答えるというグループがあった*

 

 

「斎藤先生、

うちの子はヤクザと付き合っていて、

身体中に入れ墨を入れてるんです。

どうしたらいいでしょう。」

 

それに対して斎藤氏は

「娘さん、人を殺して歩いているわけじゃないんでしょ?」

 

「そうですけど……」とお母さん。

 

斎藤学氏はただ一言

「バンジージャンプしなさい」。

 

そのお母さんはきょとんとして

「バンジージャンプですか!???」

 

 

「そう。あなたがやるの」

 

「私がですか?私がですか?私がですか?」

 

 

そのお母さんは何度も繰り返していたなぁ。爆笑。

 

 

本当に

斎藤氏の治療はユニークだった。

 

ユニークだけど、

本質をつきすぎていて、

中途半端にセラピーやカウンセリングを

かじっただけのものには

彼のやっている意味など

まったくわからないだろう。

 

 

子供のことではなく、

まず自分の人生を生きろ。

 

自分の中の空虚感を

人を使って満たすな。

 

バンジージャンプでもやってれば

頭が真っ白になって

子供のことを忘れるだろう。

 

 

親の関心が自分に向かなくなって

親のコントロールから外れた時に

やっと子供は楽になるんだ。

そうやって自立できるんだ。

 

みたいなことを

言おうとしていたんだと思うが。

 

わかるかなぁ。

 

 

 

こんなことを

なんで書きたくなったかというと、

facebookで余計なコメントをしてくる人が

多すぎるんですよ。

 

私がちょっと何かを呟いただけで

説教くさいことを偉そうに言ってきたり、

助言してきたり。

 

私以上にあんたは

自分の人生を生きれているのか?

というのが私の疑問。

 

人のつぶやきに

くだらない助言しているヒマがあったら

もっとやることあるのではないかと。

 

 

私にわかったようなコメントをつけてきたのは

僧侶の方でしたがね。

 

一見善意のコメントだけに困るんですよ。

 

以前はこういう善意を装った

自己主張に太刀打ちできず、

違和感だけを何ヶ月も引きずったけど、

今では速攻で

3倍返しくらいできるようになりました。笑

 

3倍くらい言い返したあと、

追加でこんな投稿をしておいた。

 

「頼んでいない助言というのは、時に、自分の価値観の押し付けになりかねない。

何か言いたくなった時、自分は何故これをあえて言いたくなっているのか自問自答して、一歩踏みとどまることの方が大事だったりする。

たいがいの場合、何か言おうとする時、相手のためというより自分のニーズが裏に隠れていたりする。

言うことより言わないことの方が、言うことよりただ中立的に聞くことの方がずっと難しかったりする。

役割の中で、自分は自動反応的に何かを言おうとはしてないか。

言いっぱなし聞きっぱなしで、助言や批判や意見は一切禁止で自分のことだけ話すというグループを長年やってきて、そういう場だからこそ力を取り戻せた人を多く見てきて、そう思う。」

 

 

 

あと、ありがちなのが

「よかったですね」

とかいうコメント。

 

 

いい悪いは

人に言われなくても

自分で決めるから。

 

 

そういう

習慣的に自動反応的に使っている言葉を、

まず見直すところからしか始まらない。

 

すべての思考・反応・行動が

すでにパターン化されていて、

自分で考えてもいない。

本人はいいことやっているつもりでも。

 

 

そんな状態で、

本当に自分がやりたいことに

たどり着けるわけがない。

 

 

まず言葉と

自分の本当の気持ちを

一致させること。

 

 

社交辞令は一切やめること。

 

いいひとに思われることで

認められようとする戦略と作為をやめること。

 

 

自分の本当の気持ちと

言葉と行動が

ずれていると、

ずれたままの現実が発動し続けたままで、

ずれていることにすら気づけない。

 

 

そうやって

ロボット化

奴隷化

習慣化されたままで

一生を終わってしまう。

 

 

自分はいいことをやっていると

思い込んでいるのかもしれないけれども。