僕は放浪生活を始めた。
大阪の友達のところ、京都の友達の所、病院で知り合った友達の所、水上勉の一滴文庫、その他京都、大阪、福井、兵庫の範囲内で一年間の放浪の旅であった。
勿論半分位は、その生身天満宮の前のアパートで泊まっていた。
一年後、僕のアパートをめちゃくちゃに潰し、その結果仕方なく実家で暮らせるようになったのである。
それからの五年間河原商店のガスの配達の仕事、灯油の配達の仕事、食料品日用品文具の店のレジ係をして暮らしていた。
アパートに入居してから、三か月後に生活保護を受けていたので、そのまま実家に住居が移っても3万円の保護を受けることができた。
その3万円のうち2万円は兄嫁に食事代として渡していた。
もちろん河原商店からは1円のお金ももらっていなかった。
「僕は病気だから仕方ない。生きていけるだけでも、飯が食えるだけでも幸せ者だ!」
と、自分に言い聞かせ5年の月日が何事もなく過ぎ去った。
つづく。