1週間が経過した今
思うこと、それは
政治家が人々の声に
耳を傾けることの重要性。
今回の日本の選挙でも
この間の米国の大統領選も
英国の総選挙でも
「有権者の不満が
このような結果に」みたいな
説明がなされましたけど、
私はそれ、『不満』というより
『不安』が正解だと思うんです。
日本でも米国でも英国でも
このたびは『移民問題』が
争点のひとつなりましたけど、
これまでの政治家の多くは
「移民が増えて不安です」と
弱音を告白した人に
「それは具体的には
何が不安なのですか」と
訊ねることをせず反射的に
「そんなことを言うのは
差別、間違っている」と
決めつけてしまっていた
ところがあったのではないか。
「お前は差別的で、正しく
健全な思想を持っていない
無学で狭量なバカなのだから
黙って我慢していろ」的な。
そんなことを言われたら
言われたほうは面白くないから
今度は『正しい思想』とやらに
基づいた政策を
支持する人々のことを
「お前たちは現実を見ず
理想ばかり追う夢想家で、
経済とか社会とかが今
うまくいっていないのは
全部お前たちの責任なんだから
反省して静かにしておけ」
みたいに批判してしまう。
これでは建設的な議論は
成り立たない、何故なら
双方が「自分は相手に
見下されている」
「でも自分よりも絶対に
相手のほうが頭が悪い」と
感じてしまっているから。
でも実現困難な理想を
それでもなんとか社会に
反映させようとしている人々が
何故そんな難しい道を
選ぼうとしているのかというと
それはそれでやはり根底に
「理想なき政治は万人にとって
恐ろしい未来を招くのでは」という
やはりこれも『不安』が
あるからじゃないですか。
英国のEU離脱にしても
米国でのトランプ大統領
再選にしても
根底にあったのは大衆の不安、
その不安をどれだけ
掬い上げられたか、
そこにある不安に対して
「その怖さ、わかる」と
共感を示した人物・
政党・政治路線にこそ
人々は票を投じたのではないか。
つまりある思想が極点に向かって
行き過ぎようとするのに対して
従来の価値観の揺り戻しが起こり、
こういう行ったり来たりが
繰り返されることで
『よき妥協点』が見つかるのだろうと
信じているのですけれど
・・・『価値観』と『政治』は
似て非なるものだな、と最近・・・
政治は生活に
直結しちゃうというか・・・
そのようなことを
夫(英国人)と話していて
「なんか最近は行き過ぎた
自己責任の時代というか、
『私は怖い』と怯える人を
『自分で何とかしろ』とか
切り捨てる傾向が
強まっている気がするんだけど、
怖がり屋の人間に
『無駄に怖がるな』は助言として
アリかもしれないけど
『怖がるお前は政治的に・
思想的に間違っている』と
決めつけるのは違うよな。
でもそういう社会的な
雰囲気が長いことあって、
そのツケが今こういう形で
現れてきたようにも思うんだよね」
「わかります。英国でも
現政権は不法移民問題が
議会でも話し合いが
なされていますけど、
ついこの間まではそういうことを
口にしたら『移民差別』と
非難される雰囲気でしたからね。
あとほら、ジェンダー問題でも
『トランス女性と同じ更衣室は
使いたくない』と言った女性は
差別主義者と批判され
職場から追放されたりも
していたじゃないですか。
そんな状況が間違っていると
思っている人がいても、
それを口にすると自分も
差別的と言われるから
口をつぐんでしまう、だから
表層的に目に見える以上に
『現状はおかしい、怖い』と
思っていた人は
多かったんでしょうね」
なお私は今回の参院選や
米国大統領選の勝敗を分けたのは
移民問題というよりも
「このままでは我々は
貧しくなってしまう」という
経済的不安であったと考えています。
『移民問題』はある意味
経済不安という根幹から生じる
枝葉的不安の一つで
「なぜ我々は貧困に
向かっているのか」という
答えを出すのが
非常に難しい疑問に対し、
わかりやすく、かつ
「それは我々の
せいではないんですよ」と
示された逃げ道的回答というか。
ただ景気対策(豊かになりたい)と
移民対策(移民の数を減らしたい)を
『一対』で捉えてしまうと
「移民を減らしつつ豊かになる」策を
示さないといけないわけですけど、
現代先進国において『移民』は
すなわち『労働力』の面もある、
どうやったら
そんなことが可能になるのか。
「移民は減らしました、
結果として我々はますます
貧しくなりました」という
未来を望む人はあまりいないと思う。
いやそこは大和魂、清貧の思想、
武士は食わねど高楊枝、という方も
いらっしゃるかとは思いますが、
国の貧困化はすなわち国の弱体化。
色々な意味でそれは危ない。
それにしても『景気対策』は
難しいですよね。
「過去25年間で明らかに
成功した景気対策は何か」と
問われて咄嗟に答えは
出てこないじゃないですか。
我々は『貧すれば鈍する』を
体現する時代に生きているのか。
それとも今後数年間で
極論から極論に
揺れて戻ることを繰り返し
ちょうどいい着地点を
見つけられるのか。
でも政治家が
極論で勝負するのは
危険だよなと
最近の米国を見ていると
思うんですよね、
という話はまた明日。
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