子供のころの記憶って
断片的にでも
思い出すことはありますか?
オンライン受講中の
遺伝子易経(以下GK)ヴィーナス旅では
現在の自分の
振る舞いの元となる
感情や思考の癖や傾向を知るのに
子供時代に遡って
人生を調べる
観照の機会を持つのです^ ^
「ローマは1日にして成らず」の
ことわざの通り
”今の自分に成る”
には
子供時代は不可欠だから。。。
玉ねぎの皮を剝くように
何度もその機会を経ては
毎回少なからず
何らかの気づきを得ては
余計な信念体系や条件付けを
少しずつ1枚ずつ
剥がして来たように感じていたのだけれど
その度
それなりの打撃や衝撃、葛藤があった…と
思っていたのは
実は全然
序の口だったと
ここに来て分かってきました(-_-;)
*
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こんな言い方をすると
まるで自分を責め立てダメ出しして
自らを痛めつける
M的嗜好のように聞こえるかもしれないけれど
実は
その真逆です^^b
ここで言う玉ねぎの皮は
目に見えない“強制器具”のような役割を指して
無力だった幼き頃
自己防衛の為に無意識で身に着けた
条件付けや固定観念など…。
無意識な為
大人になった今も身に染みついて
自分の心や頭に
枠組みや限界を設けて
自らに制限を課してしまっているのです。
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*
気づく事イコール解放を味わう事…に
他ならないのです^^
禅の公案の1つ
「あなたは誰ですか?」の問い・・・
思考で考えられる限り
誰もが自分の言葉で回答し続け
それでも同じ問いかけに
答えを出し切ったように感じた頃
思考と思考の隙間に
ふっと湧き出る心の奥からいずる言葉に
ハッとなる…
という瞬間があります。
今回のヴィーナスの振り返りは
これに似て
対象の8~14歳の観照に
行き詰まりを感じ苦戦していた時
ふと
浮かんできたワードは
「心を開く」…。
まだ腑に落ちる気づきは
無いのだけれど
玉ねぎの皮むきもだいぶ進んで
真に無意識中の無意識の制限に近づいている…
という実感にだけは
気づいているところです^^;
きっとそれが無くなると
生きては行けないと
幼い頃から条件反射的に反応してきた事なのだと
思います。
今回もしかして
気づきに至らないとしても
うっすらその存在に気づいただけでも
意味があります。
現在の自分に起きている事の中には
それが間違いなく
投影されているのですから。
神秘的な事に
現在に投影されている多くは
身近な人間関係を通して
現れていて
ヴィーナスの観照が
現在にまで
糸口や光をもたらす事になるのです。
にわかには信じられない事のようで
これまで何度も
この奇跡のような不思議を
体験して来たのは事実です^^
その度
眼鏡の精度、度数が上がったように
目に映る全てが
鮮やかさ広がりを増して
不自由とは思っていなかったのに
とても自由になったような
爽快感、軽やかさを感じるのです。
旅のお供は
自分の中心に還るフェイシャルハーモニーと
生まれた瞬間の
宇宙の模様とも言える
GKのマイチャートです^^
内なる旅は
神聖だけど深刻なものでなく
自分に鞭打つものでも
他人に責任転嫁するものでもないのです。
気づけないものは
癒すことができないけれど
気づけたら
その瞬間それだけで
無意識の牢獄から
片足が抜けている…^^
外目には分からないけれど
自分にだけは実感できる
内なる革命なのです^^
続きはまたいつか^ ^
今日もありがとうございました![]()
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