先日奥村薫舞踏公演で共演されたEric Larsenさんのお宅での茶会にお招きいただきました。
Ericさんは大の親日家で、京都に別荘を構えてアメリカとの二拠点生活をされています。
こじんまりとした古民家を、天窓、濡れ縁、中庭などのある贅沢な佇まいに改装し、研ぎ澄まされた暮らしをされています。
舞踏家のスピリッツが満ちておりました。
まだ少し畑が残る一乗寺界隈。空が大きくひらけ西山方面までもが見晴らせ、比叡山を仰ぐこともできる立地。
古き良き日本の“臭い”を残しつつ、西洋人好みの“いかにもな日本”を既成概念にとらわれず印象的に配置されたリノベーション。
日本人ならこうはしない…って微妙な違和感からエスプリが立ちのぼってくる。
ある意味日本家屋より日本らしい。心地よく背筋が伸びるデザイン空間でした。
茶湯のための特別室があり、ここで毎日Tea Ceremonyを嗜まれているそうです。
瞑想、舞踏、茶道、この3つがEricさんの日課であり、どれもが瞑想を極めるための所作なのだそうです。
瞑想のために暮らす。なんて贅沢なんだろう。
でも本来、人はそのように暮らせるよう必要なものは既に与えられているはず。
それを具現化したような暮らしだなぁと心洗われ、ハッとなりました。
織部焼の茶碗をご用意くださっていました。器好き、泣ける〜
掛け軸といい、茶碗といい、「茶湯の心」を心得た人のところには“本物”が集まってくるのですね。
Ericさんのお手前では、利休が目指したであろう本質的な宇宙観が大切にされているように感じました。
静かで、意識の淵が広がっていくような時間。
戦国武将が利休に求めたのは「瞑想の場」だったのではないかと予々から想像してたので、まさにという感じ。
訪れた客人3名はいずれも茶道経験なし。
ガイジンさんから作法と本質を教わるという「日本、大丈夫か?」的な文化交流でした。。
‘お茶のお稽古’は性分に合わず、本式の茶会なるものを体験したことがありません。
でも、このような茶湯であれば、日常のなかに取り入れること大事なんじゃないかと思えました。
翌日からでも直ちにこんな暮らし方をしたいと思ったものの、それから早3日、特に変わりなく日々が過ぎてゆきますが、
ねこ福の目指すべき具体的ビジョンを見せていただけたように思っています。
茶道を独学できないかと心が動き始めましたが、そんなことよりまず10分、心を留める時間を確保することこそ本質。
思考を止めて←いちばん苦手なやつ、「ただある境地」を省みるよう務めております。
きゃ〜ッと叫びたくなるよな器のコレクション。
水谷ってこやって使うんだ…、初めてみる光景
「コレクターですね。」と言われて、「毎日その日の気分に合わせて使ってます。」と答えられたEricさん。収集ではなく、蒐集であると。
使ってこそ生きる道具。感性に響く物と共鳴する時間の意味。
肩肘張らない空気の中で、お仕着せでなくそっと、自身の愉しみとして奥義を展開する在り方。
見習いたいです。
Ericさんが踊りをとおして伝えたいのは、達観した平和な心。
特に「核兵器」への思いが強く、ねこ福公演でも原爆というテーマで舞踏を披露くださいました。
わたしとしては、原爆に限らず「戦争が置いていくもの」全般を見せられたように感じました。
開催レポートで綴ったように、仏壇が見つめているなか、
文化を謳歌する喜び、
調和を乱され抑制の利かなくなった身体…、
そしてそれらをも超越する心
というものを表現くださったように受け止めました。
「戦場のトラウマで精神疾患に…戦後も続く元兵士や家族の苦しみ」というNHK番組を過去に観たのだけど、退役兵の身体の震えとEricさんの舞踏が重なりました。
過去記事でリンクを貼ったのだけど、もう削除されてました
破壊された街、失われた命にのみ注目がとどまりがちだけど、見えないところで侵食されていく精神も重篤です。
過去を忘れるのでもなく、消し去るのでもなく、乗り越える心を育めたとき、争いを超越する次元が訪れる。
一人一人の心の在り方が平和への唯一の道であると、Ericさんの舞踏にはそのようなメッセージが込められているように感じました。
Ericさんのプロフィール動画をご紹介しますね。
第五福竜丸の被曝をテーマにした舞踏を披露されています。







