先週日曜日は山里の春祭りでした。
連日の風雨にもかかわらず桜も咲き留めてくれて、穏やかな快晴のもと最高の祭日和でした。
祭りに桜が満開。行事とお天気と季節がぴったり連動するって、それだけで福々しいものですね。
神社の境内では神事のために、キラキラと陽光に輝く桜吹雪の舞台が用意されました。
どんな名監督でもこんな光景は撮れないでしょうっと思わされるほどにバッチリ、絵に描くよりも美しい光景でした。
この大祭は八岐大蛇退治を起源としており、境内での弓神事に先立ち大蛇が境内に担ぎ運び込まれます。
その大蛇というのがこちら。
各戸から持ち寄った藁で編み上げた大綱です。
山里の祭りでお神輿に当たるのは、担ぎ棒に巻きつけた蛇。
なかなか味わい深いでしょ?
壮麗な神輿と比べてなんて粗野な…原始的な…っと思った時代もあるのだけど、そもそも祭りの原型とはこういうこと。
住人が身近な素材を持ち寄って手作りする。その作業自体に神が宿るのでは。
このプリミティブな祭事が粛々と守り受け継がれてきたことが素晴らしいなと思うようになりました。
でも、昨今の歴史再考やら郷土文化ブームとは裏腹に、正直なところ地元はそこまで熱く沸いてないように感じてます。
伝統行事やら文化遺産を維持する労力は気持ちだけでまかなえるものではなく、価値を見失い手放したくなるよな心情で携わってる面もある。
っということで、今年は大きな変化がありました。
移住してこられた人の職場から大勢の助っ人が大綱の担ぎ手として参加されてました。
戸数の多いねこ福垣内は親戚縁者を辿ればなんとか人数が揃うのだけど、今年は半数近くが伝統柄のハッピではなかった。
色鮮やかな「祭」ハッピの面々が神事を盛り立ててくれてました
でいて、例年よりもめっちゃ活気があった。助っ人さん達が全開で楽しまれてたようでした。
この現象、フクザツだけど、地や血に縛られず、継承したい有志に一旦伝統を託すタイミングなんでしょうね。
田舎で生まれ育ったからといって、古来のスピリッツをしっかり受け継いでるという訳でもなく。
むしろ新興地域の人の方がそこに無いからこその渇望が強く、関心が高い。今はちょうどそういう潮目なんだろな。
かくいう私も、ねこ福を訪れるお客様から刺激をいただき郷土文化に目を向けるようになったばかり。お客様の質問に答えられるように古事神事を学ぶようになりました。
でも一旦意識を向けると猛烈な情報収集が勝手に発動するので(^◇^;)、春祭りへの思い入れも随分強くなりました。
そういう知識を引っ提げてお祭に臨むと、意義深さ、継承することの大切さを実感できましたね。
いまだ女人禁制の祭事で(それを否と思ってる訳でもなく;現代人が理解できない深い理由があるのだろうし)できることはあまりないんだけど、継承され真意が広く理解される時代が訪れることを強く願いたいと思いました。
さて弓神事、
少子化のなか、弓の引き手となる青年も矢を手渡す少年も選抜するのに随分苦労するそうです。
自分の背丈より長い弓を抱えるちびっこ。自分が何をしてるのか分かってなかったかもしれないけれど、式の進行とともに表情がキリッと引き締まっていく‘成長’ぶりが素敵でした。
連日、夜な夜なの特訓をこなしての晴れ舞台。歳を振るごとにどっしりした郷土愛に育っていくものなのかも。
的の横でとぐろを巻いてる蛇っぽさがいい。
その後弓で射られた蛇は奉納されるべく神楽殿に巻きつけられると…、
あたま↓
酔って吐いとる
↓しっぽ
ホントに生き物かのように見えました
戸数の多いねこ福地域では藁も潤沢に集まるからもっと長い蛇でしたが、小ぶりなれどなんとなくリアルで絵心がある今年の蛇さん、かわいかったです。
4つの垣内で神番を回してるので、毎年微妙に作法やしつらえが違うところも味わいです。
「大変や、大変やと言いながらも、こうやって続いてるからすごいよねぇ。」っと、お久しぶりの幼馴染がぽつり。
ほんと、ほんと。
どうにかしてでもなんとか続けよう、実現させようというマインドと知恵をしぼる努力こそが人を進化させるんだと思う。
御祭神が誰とか、古代史がどうとか、そんなことより地域で200年以上続けられているというそのことに深い感動をいただきました。







