その映画は12月4日の日記から始まります。
あ、今日じゃん…
坂本龍一氏が「生」と向き合う節目となった日。
腫瘍が見つかり余命6ヶ月と宣告を受け、3年4ヶ月にわたっての闘病生活が始まった日。
その記録映画『Ryuichi Sakamoto; Diaries』を観てきました。
昨日も触れたけれど、12月3日がわたしにとって「生」と向き合うことになった日で、日付をまたぐやこの予告動画が飛び込んできた。
これは招かれた。行くなら今日なのかも…
入場口で思いがけず、ポストカードをいただきました。
坂本氏から直接メッセージを受け取ったような錯覚。
来ると知って用意してくれたような錯覚。
これから始まる映画との距離がぐっと縮まりました。
余命宣告を死刑宣告と捉えつつも抗癌剤治療に臨み、音楽活動と闘病を続けられたようです。
この間かなりの活動をこなされたようですが、映画は業績については触れず、精神性が移りゆく様のみを捉えています。
闘病のなかで「生」の光を見失わなかった意志の強いひとりの人を追った記録でした。
苦痛に耐え続けて生きることに何の意味があるのか?という自問が、絶えず繰り返される。
安楽死もありか?と呟くことさえある。
その都度、まだやりたいことはあるのか?と問い直す。
坂本氏にとって「生」の活力となるのは音に触れることだったようです。
なので映画の中には様々な音が溢れてます。作曲されたメロディーも自然音も楽器音も。
それらは仕事としてではなく、精神力を支える手段として必須なものとして登場する。
気力を奮い立たせるためにやむにやまれず発動するおこないが、数々の社会活動を遺した。
べき、為に…が介在しないクリエーターの業が、そこに濃縮されていました。
象徴的に感じたのは、聴きたい音の質が変わっていかれたこと。
宣告を受けられる前は、陶器の割れる音、朽ちていくピアノの音など破壊的な音へと関心が向いていたのに、
心の整理がついた頃からは、雨などの自然音に安堵を見出されるようになる。
投薬期間中は音に触れる体力も無くなってしまうとも語られてました。
さらに闘病が続いていくと、小さなリンを耳元で鳴らし、音色を貪るかのように聴き入っておられましたた。
人は、自然に還り、更にはスピリチュアルと呼ばれる領域を拠り所にぜずには居れなくなっていくのですね。
《体調に良いような気がすること》として、
・朝、太陽に向かって深呼吸する
・好きな音楽を聞く
・変な踊りをして笑う
・仙骨を立てる
・感謝する
これらが映画の後半、回復の見込みが断たれてからの日記に綴られます。
今?ですか⁉︎
あの深淵な楽曲を紡ぎ出す坂本龍一が、
世界のサカモトが… 今気づいたの?
ねこ福に集う人たちの間では概ね共通認識のようなことですが、界隈を違えると常識も違うということか。
が、よくよく考えてみたら、自分だって長い長い介護歴と闘病歴の末に知り得たこと。
はじめは皆んな知らないのかも。
ましてや才能に溢れ天下無敵の活躍をする人々のあいだでは語られない話題だったことでしょう。実力で結果を出せる人には必要ないメソッドなのかもしれません。
もしかしたら、改めて再認識、実感されたことを綴られていたのかもしれないけど。。やるせなかったなぁ。それを習慣にしておいて欲しかった!
エンディングは坂本氏が撮り溜めた満月のスナップで繋がれます。
“『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』。せいぜい20回。見るもの全てがこれが最後かと思うと悲しい。”
なんとも素直な心情を綴り、涙する場面もありました。
人を喰ったような無機質な個性を放っていたYMO時代のその人も、月に物思うようになるんだな。
奇しくも、帰り道もちょうど満月。
つい撮りたくなる衝動、わかる。
母を看取ったその夜から、月が何をか伝えようとしてる気がするようになった。
同じだな。
死の淵に触れた者は、自身の無力を悟る。その瞬間から、人は月に見守られていることに安堵し喜ぶようになるのだろうか。
実際はもっともっとドロドロとした壮絶な場面も当然ながらあっただろうけれど、美しい映像と音楽だけで昇華されています。
それでも、「生命に制限を突きつけられたうえで前向きに生き続けようとする壮絶な修行」をヒリヒリと味わうことになりました。
母の稀有な闘病生活を一心同体で体験した生き残りなので、坂本氏の心情が我ごとのように感じ取れる。描かれている以外の実情にも容易に想像が及ぶ。
覚悟してた以上に観終えるのが苦しかったですね。一旦、当事者を離れ開放された身なので。
坂本氏が何故このような記録映画を遺そうとしたのか、その意味もわかるつもりです。
壮絶な修行の記録が、世の中に落とす波紋の意義を理解されていた。
死の淵に臨んだものにしか閃けないこと、辿り着けない境地を映像として切り取ってみる挑戦でもあったことでしょう。
できることならわたしも何らかの方法で世に出したい、ライフワークにしたいと思いながらも全く歯が立たなかったこと。
それをこんなにまで完璧な作品に完成させてしまう坂本龍一という人はやはりとてつもなく偉大な人物なんだなと思いました。
現代日本では「死」の場面が身近でなくなったために、逆に「生」の実感や感謝も希薄になっているとよく聞きます。
わたしは幼いことから親族の臨終に何度となく立ち会っているので、その一般的な感覚がいまひとつわからないのですが、
だとしたら、誰しもこうして映画ででもいいから死に向かう人に直近で寄り添ってみてはどうかと思うのです。
大衆の心を掴む術を心得た坂本氏が、親しみやすい物語として美しく「死」をみせてくださってます。何か感じ取り、気付けるものがあるのではないだろうか。
貴重な、ある意味人類の宝といってもいい記録だと思いました。
映画館に行かずとも、デジタル鑑賞も可能のようです↑






